三ヶ月坊主

個人的嗜好をSexyと戦わせるゆるオタク

(音楽文再録) よく回るのが季節とCD、枯れるのが紫陽花 〜Sexy Zone『夏のハイドレンジア』観察記〜

(2021年8月6日掲載) *1

 

 夏の気温が35度を超えても誰も驚かなくなろうと、雨がゲリラ呼ばわりされようと、よく分からない時期に雪が降っても、四季というものはこの国で信じられ続けるのだろう。どれだけ9月、下手したら10月まで暑さを引きずって運動会はこの時期避けようねとなっていても、「日本の夏とは6〜8月の事を指す」という認識は私の中で未だ強固に存在する。暦上の事は一旦置いておいて。

 このサブスク全盛時代に、アーティストがあえてCDを出す意味はなんなのか。色んな人が考えて、色んな結論にそれぞれ達している。私はまだ、「CDやレコードなどの形に残るものは全く出さなくていい、配信だけがいい」という結論に達した人はあまり見たことがない。採算が取れるのか心配しつつ、出してくれるなら出してほしい、自分の好きなアーティストのものだけは手に入れるから、という人が比較的多いように思う。好きなものは目に見える形で所有したい、という思いもまた、私の中で強固だ。

 Sexy Zoneの新曲『夏のハイドレンジア』のCDを手に取った時、私の中にずっと残るそんな思いたちが、かちりとこれまた強固に噛み合って嵌まり込んだ気がした。

 


 『夏のハイドレンジア』発売が発表されたのは6/9、まだ関東は梅雨入りする前だった。既に気温は30度近かったが湿気はさほどなかったカラリとした暑さの中、まず楽曲提供した秦基博さんのコメントを読んだ。「ハイドレンジア」という聞き馴染みのない単語は紫陽花の洋名である事。この曲が主題歌に採用されたドラマのヒロインを、都会の雨の中で凛と咲く紫陽花に見立てている事など。

 コメントを読んで、今はまだ来ていない梅雨、今はまだ咲き始めたばかりで見頃は迎えていない紫陽花に思いを馳せた。この曲が発売される頃にはどちらも終わっているだろうとも考えた。まだ遠い先だった。発売される頃のむせ返るような暑さと、暴力的なまでの太陽光の事を想像して、そろそろエアコンのフィルターを掃除せねばと思った。まだ窓を開けて風を通していれば快適だったが、そうもいかない暑さが来るのは知っていた。

 


 試聴が始まった6/16には既に関東は梅雨入りしていた。この曲の音がみずみずしさに満ちていると思った。それはピンと張りのいいベース音のせいかもしれなかったし、流れるようなストリクングスのせいかもしれなかったし、零れるようなはなやかさを保ちつつ凛と澄んだ歌声のせいかもしれなかったし、イヤホンを耳にした私の頭上にかぶさっていた今にも降り出しそうな色をした雲のせいかもしれなかった。

 


 気温はあまり上がらずたまに晴れ間も出る快適な日が少し続いた6/25には、一緒にCDに収録されるカップリング曲のタイトルが解禁された。勿論今回も表題曲を引き立たせるだけのかすみ草のような存在にはとどまらないだろう、でもかすみ草も単体で私好きなんだけどそれはまた別の話、とは事前に思っていたが、まさか「神はサイコロを振らない」さんがとびきり目立つ花を贈ってきてくれているとは思わなかった。

 


 この曲が初めて本格的に披露されたのは7/3、関東は梅雨の真っ只中で、気温は上がらず一日雨が降っていたように思う。エアコンのフィルターは一度掃除したもののしばらく使っておらず、この湿気だとカビでも生えてきそうだと思っていた。生放送の音楽番組でSexy Zoneのメンバーがその天気にふさわしくしっとりと歌い上げているのを眺めながら、今発売すればいいのに、と思った。Sexy Zoneの歌声には憂いがあって、でも最後には"晴れ渡るフィナーレへと手を引いて連れていくから"と希望を感じさせる声で歌っていて、このどんよりとした天気の中で聴くのにまさにぴったりな曲だと思った。

 最初は聞き馴染みのなかった"ハイドレンジア"という言葉にも、だいぶ耳が慣れてきていた。もう街中のどこで耳にしても、すぐに紫陽花の事だと気付けると思った。見頃は少し過ぎたものの、今年は紫陽花を街中でよく見かけるとも思った。見かけるたびに『夏のハイドレンジア』の事が脳裏をよぎって、例年より色濃く見えた。

 


 MVが公開されたのは7/12、関東はまだ宣言こそされていなかったが、気温は30度を超えて晴れ渡り、もう間もなく梅雨明けかと思われた。学校を舞台にしたMVは、プールや暗い教室など、どこか冷んやりと感じられる背景も多かった。この頃になると、ドラマに間に合うように急いでシャワーを浴び、エアコンの効いた室内で部屋着のTシャツを被りながらテレビの前に座る火曜日にもすっかり慣れていた。毎回ドラマがいい所で終わり、もう何度も聴いた歌い出し"ハイドレンジア"の特徴的で美しいフレーズが、絶妙な案配で映像に挟まる。

 もう近所の紫陽花は、ほとんどが枯れて葉だけになっていた。

 


 発売日…の前日、8/3、これを書いている今日、関東はとうに梅雨明けして空は晴れ渡り連日のうだるような暑さ、落ちた葉をしばらく置いておいたら焦げてしまうのではないかとすら思わせる灼熱のコンクリート、それを踏みしめて帰りを急いだ。腕には買ったばかりで包装されたままのCDが入った袋がぶら下がっていた。早く家に帰って開いてあげないと枯れてしまうような気がしていた。花は持ち運ぶ時は逆さに持ってあげたほうがいいと言うが、CDはどう持つのが良かっただろう。

 当然だが、CDは枯れない。今年の紫陽花がとっくのとうに全て枯れても、大事に保管して再生機器さえ用意すればいつでも、どこでも、いつになっても聴く事ができる。無事に持って帰ってこれたCDは今、私が一つだけ持っているCDプレイヤーに生けてある。私のこの2021年夏の記憶をたくさん含んで、何回でも回る。

 焦らしに焦らされてようやく手に入れた"晴れ渡るフィナーレ"の季節だ。

*1:他の再録と異なり、これだけ音楽文サービス終了前に最終稿を保存し忘れた為、手元に残っていた投稿前のデータとなります。

僕らはいつだって風のまま ~Perfume『Flow』歌詞とドラマ『ファイトソング』の夏川慎吾~

 誰が何てったってFlowは慎吾の曲じゃい!!!!!

 いきなり一文で端的に本記事を要約してしまい申し訳ありません。私が干支1周分ぐらいの年月なんやかんやで捉われ続けているPerfumeが、私のここ数年を支え続けてくれているSexy Zoneのメンバー菊池風磨さん出演のドラマ『ファイトソング』主題歌を担当する事になり狂喜乱舞無双2022開幕、それから早くも2ヶ月が経過しました。いよいよ来週はドラマ最終回という事で、物語が一体どのように終わるのかとても気にな

らないといったら嘘になるけど正直慎吾の告白シーンが良すぎてもう大満足してしまいました~~~ありがとう Forever慎吾……

 本当に良かった。幼い頃からずっと惹かれ続けてきた人への想いにやっと区切りをつけるという、それはそれは大きな感情が動く大事な場面を演じきった菊池風磨さんにスタンディングオベーションが止まらないよ。

 もう遅いけどこちらの記事はドラマ『ファイトソング』のネタバレをバリバリします。ご注意ください。

 そして上記のシーンがあった第9回の翌日である本日が、主題歌『Flow』の発売日であります。残念ながらフラゲに失敗した為Apple Musicにて拝聴したのですが、


www.youtube.com

えっと……この曲、夏川慎吾目線の曲で(もありま)すよね……?

 もちろんこれまでもドラマで流れ、ラジオでもフルで流れ、と歌詞を聴く機会はたくさんあったんですが、第9回を観た後に聴くフル音源はワケが違った。第9回翌日に発売している時点でこの曲は間違いなく慎吾の曲Q.E.D.

 せっかくなので歌詞のフレーズを1つずつ見ていきましょう。このFlowという曲が慎吾の想いを綴った曲で(も)あるという揺るぎない事実を受け止めてほしい。誰?

 

・僕はただ信じていたくて 何もこわくないふりをしていた

 →これは”何を”信じていたかったのか、”何を”こわくないふりをしていたのか。花枝との関係が永遠に続く事を信じていたくて、芦田春樹の出現によってそれが崩れるのを(花枝の前では)恐れていないふりをしていたのではないのか。

・あの日から心は変わらない/あの日から結局変わらない

 →曲中合わせて3回出てくるフレーズで、想いの強さを感じさせる。”あの日”が何を指しているのかはいろいろ考えられそう。花枝と出会った日なのか、告白した日なのか、もしかしたらまだ母と暮らしていた頃なのか……。”心は”より”結局”の方がやや後ろ向きな印象を与えるのが気になる。変わりたくても変われないままだった慎吾といえば、9話で2年の時間が経過しても距離感全然変わらずな慎吾が思い浮かぶ。

・そのままでわがままでいたいだけさ

 →完全に「今の関係を壊したくない」けど「男として見てほしい」慎吾やんけ!そんな虫のいい話があるか!(ヤジ)

・過ぎる時代/変わる時代/あの日の未来

 →この3つが並列で並べられ、歌詞1番(というか1周目)では「夢のよう」、2番では「雨のよう」と描写される。前2つが過去で最後が未来…と見せかけて、最後も”あの日の”と付いているので実際には来なかった未来=過去に思い描いていた事=過去、なのでは?と感じた。全部過去の事。

 ドラマ本編ではあまりそういうイメージが無い割に、歌詞やMVでは(あくまで私の主観ですが)かなりフィーチャーされている”時代”という単語。別に時代に影響される筋立てのドラマではないのにな……というちょっとした違和感はずっとあったのだが、もしかしたら慎吾(や花枝や春樹)の人生における一つの時代、時期の終わりを指しているのかもしれない。きっと慎吾の人生もここから何かが変わっていくのでしょう。もしかしたらかつて母を支えていた頃から連綿と続いていた、幼年期の終わり

 この「あの日の未来」の”あの日”は、告白したあのシーンの日の事かな……と個人的には思っている。慎吾がスケッチブックに用意した未来は2通りあった。告白が成功した時の締めくくる言葉と、うまくいかなかった時の二人の関係を守る為の言葉。望んだ未来が夢と消え、止まない雨がこれから先降り続く事になっても、

・そうさ 僕らは流れ雲になる

 →と思う慎吾……慎吾~~ッッ

 ここで”僕”から”僕ら”に変わるのは、凛も含めた施設の仲間たちとしての愛をこれから先も花枝と続けていきたいって事じゃ……ないのかなって……(情緒不安定)

 

 他にも「揺れる波 戦う日々」は現実と戦う花枝をずっとそばで見てきた気持ちとか慎吾自身が事業を立ち上げるまでに奮闘していた日々を指してるんじゃ……とか、「恋をした あの日も泡に」で泡にしないで~~~(涙)(うちわ)になったりとか色々と聴いていて考えてエモーションがぐちゃぐちゃになる名曲です。ヤスタカほんまにストーリーが2年後に飛ぶの知らなかったん?

Flow

Flow

  • Perfume
  • エレクトロニック
  • ¥255
  • provided courtesy of iTunes

 

 

酒のこと

 父方の祖父の若い頃の写真を見たことがあるが、顔の圧で思わず後ずさるぐらい男前だった。漁師仲間と一緒に写っていたのだが、他の人たちが当時の写真らしい朧げな画質で収まっている中、祖父の顔だけは技術力の限界を超えてくっきり鮮やかに(白黒だけど)映って見えた。なぜこの血が父に継がれなかったのか大変残念である。父が継いだのは、酒好きの血だった。

 祖父は酒乱だったらしい。らしい、としか言えないのは、父の話からそれが断片的に窺える程度しか情報がないからである。どうも色々大変だったようなのだが、父から積極的にはその話をして来ない以上、あまり詳しく聞く気はない。祖父母ともにもう亡くなっているので、本人から聞く事も出来ないが、それでいいのだと思う。

 幸い父は酒乱ではないと思う。だがそれは酔って暴れたりしないというだけで、酒量はとても多い。私が幼い頃から父は、外で飲むよりも、家に帰ってきてから飲む方が多かった。なので余計に目につく。しかも年齢を重ねるごとに酒量が増えている気すらする。とっくにアルコール中毒者のラインを超えていると何度家族で説得しても適当に受け流されるだけで、まあ暴れられないだけマシなのかもしれないが、家族としてはなかなかに虚しい。太く短く生きたいらしいが、早死にするつもりならこっちにも考えがあるぞと唸った事もある。酒乱の祖父を見て育ったはずの父がこうなるとは、"血は争えない"という言葉は的を射ているのだろうか。あまり好きじゃないんだけど。

 私は酒が好きである。大変残念ながら、"血は争えない"を現在進行形で体現してしまっているのがこの私だった。父を見て育ったはずなのに。元々酒は好きだったし、一人暮らしを始めてからは家でも飲むようになって酒量が増えた。ビールと安ワイン派の父と違い、私はビールと日本酒派である。父と違って絶対連日では飲まない・週に3回まで・飲酒後の風呂禁止・定期的に厚生労働省HPの飲酒ガイドライン*1を見るなど固い戒律を守ってはいるが、どんぐりの背比べ、同じ穴のムジナ、蛙の子は蛙、周りから見れば父と似たようなものだと自分でも思う。しかも誠に遺憾ながら、若い頃の父ほど強くない。そこも継げよな、と思うがこればかりは男女差もあるものなのでしょうがない。ちなみに姉妹も揃って酒好きだが、強さは私と似たようなものである。

 でも父と違うのは、私は他人と飲む酒のほうが断然好きだというところだ。家で飲むより友達や先輩や後輩と居酒屋で飲む方が全然好き。他人との会話が最大の肴であり、コロナが本当に恨めしい理由の一つでもある。早くパーテーションのない居酒屋に行きたい。デカ皿料理頼んで適当に分け合いたい。誰も頼んだ記憶のないが卓に運ばれてきた柚子生搾りサワーを美味しそうだからという理由で引き取りたい。いぶりがっこチーズを頼んだ友人を完全に正解って言って称賛したい。どうでもいい話をしつつ割り箸の袋で箸置き折りたい。嘘折れない。不器用なので。

 普通の友達と飲みながら話すのも大好きだし、オタク仲間と飲むのにもとても憧れる。学生時代の友人で趣味が合う子たちと飲む事はもちろん多かったのだが、Sexy Zoneにハマって本当に趣味繋がりオンリーで知り合った人たちとはまだほとんど飲みに行けていない。現場後のトリキ(任意の居酒屋の名前を代入してください)体験に至っては一回もないのである。

 私の自由な一人暮らし生活のうち、最初の2〜3ヶ月以外はほぼ全てコロナに覆われている。本当にこんなはずじゃなかった。別に積極的にしたいわけでは全くないしむしろこれは良かった点ではあるが、終電帰りや朝帰りがほぼ全滅する事になるとは。実家にいた頃のほうが全然多かった事になるとは。

 コンサートや舞台などの現場終わり、他人と感想を分かち合いたい、ネタバレを気にせず吐き出したい、とにかく喋りたい、という欲求を満たすべくラジオ配信やらスペースやらをする事が増えたが、必要以上に大勢の人に公開されてしまっているような気もする。普通に喋る分には、どうせ聞いている人は知り合いかフォロワーの方ぐらいだと思うので別にいいかな、とも思うのだが、問題なのは私がそういった音声配信に「現場後のトリキ」の代替としての役割を求めているせいで、やっている時大体飲んでいる点である。絶対やめたほうがいい。滑舌は悪くなるし、しっかりと思考を働かせて話す内容をまとめられなくなる場合もあるし(これはそこまで飲み過ぎなければ大丈夫だが)、うっかり失言する可能性だって増える。

 そもそも、なぜ現場後に飲みたい(そしてオタクと喋りたい)、という欲求が私に生じるのだろう。別に感想を喋りたいだけならお茶でも構わないはずだ。究極座るイスさえあればいい気すらする。立ちっぱなしはさすがに足腰がきつい。実際、酒などなくてもひたすら喋ってめちゃくちゃ楽しい会だって過去にたくさんあった。会話において酒は、私にとっては必須要素ではない事は確かだ。

 きっといくつか私に理由はあるのだろうが、単純に「酒は必須要素ではないが、あるとテンション上昇にアクセルがかかって、より楽に楽しくなれる」というのがあると思う。通常時のテンション上昇が、初期値30ぐらいから始まり、会話をするにつれて5ずつプラスされ、緩やかに100に向かっていくとしよう。私の場合、酒がある!と思うと、初期値に酒ボーナスが10プラスされ、40からテンションをスタートする事ができるのだ。そしてアルコールの持つ効用により、テンションの上がり方にもボーナスが掛け算され、通常5ずつのプラスのところが10ずつプラスになる。100に辿り着くまでの時間がかなり短縮されるのだ。

 「酒がある!と思うと初期値に酒ボーナスプラス10」になるのは、これまでの経験に拠るところが大きいと思う。これは本当に幸いな事に、これまで経験してきた酒の場というのが、私の場合は楽しいものがほとんどだった。周囲の環境に恵まれていたと思う。各自それぞれ好きなものを飲み食いすれば良いじゃない、という場がほとんどだったように思う。ハラスメントを受ける事もなく(気付いていないだけだったらどうしよう)、かといって私自身が他の人にその楽しさを押し付ける事もなく(相手がそうは感じていなかったら本当にどうしよう)、あくまで私の主観においては楽しかった。たまにこれなら家帰って飯食って寝てた方が楽だったわ…と思う場もあったが、過去の酒の場楽しさ貯金を切り崩してそういうダルさを緩和しつつ、そもそも酒の味自体がまあまあ好きだという事を活かしてギリギリプラマイゼロまで持っていけていた。

 だから、少なくとも会話においてのテンション初期値ボーナスについては、ただの過去の経験からくる刷り込み、気の持ちようでしかない。現場後の昂揚感などできっといくらでも代替可能だ。別に必須要素ではない。何度そう繰り返そうとも、気兼ねなく友達と先輩と後輩とオタクと飲みてえなあ、と思う事は止められない。これが物心つくかつかないかの頃に数度しか会った事のない顔も覚えていない祖父からの、至極厄介な贈り物かと思うと、血ってしょうもねえなあ。

オーケストラのこと

 楽器に初めて触れたのは3歳の頃だ。クラシック音楽が好きな母(初めて弾いた交響曲シベリウス1番)の影響で、姉は既にピアノを始めていた。姉がやっている事を何でも真似したがっていた当時の私は、姉に着いてヤマハのピアノ教室に通った。幼稚園の間は集合クラスでエレクトーンをやったから、最初に触った楽器はエレクトーンかもしれない。そこで私は、同じクラスの子や姉や後から始めた妹よりどうも自分が上手いらしいと気付いて、大幅に調子に乗った。個別クラスに移り、その後引っ越しして個人の先生がやっている教室に移った。

 小学校の間はピアノを続けたが、2年生の時に1回だけ地元のコンクールに出て、初めて観るめちゃくちゃ立派で蓋が全開のグランドピアノ(我が家にはアップライトピアノすらなく電子ピアノで練習していたし、先生も住宅街の自宅でやっていた為かピアノの蓋は常に閉じていた)に大興奮して演奏そっちのけで身を乗り出して蓋の中身を覗いていた結果普通に1回選で落ち、それ以来自分の上手さは大した事ないのだと正しく認識して、楽しく学校の合唱伴奏なんかをしていた。この頃から私は楽器を承認欲求満たしツールとして都合よく使っているなと思う。実際はそうでもなくても、みんなが合唱している横で一人だけピアノを弾いていれば、みんな何となくうちの学年で一番ピアノ上手いのあの子なのかも?となったから。

 さらに高学年から始まった部活では、金管バンド部に入った。音楽教育にかけては市内有数のショボさを誇った我が母校には、木管楽器が一切なかったのだ。当時からなんとなく低音楽器のほうが好きだった私は、当初トロンボーンを志望したが、「腕の長さがかなり足りない」という理由で落とされ、ユーフォニウムになった。結果としてユーフォニウムはなかなか好みのパートだったので良かったと思う。まさかその数年後にユーフォニウムだかユーフォニアムだか表記すら定まらないこの吹奏楽界屈指のマイナー楽器が主役に据えられたアニメが始まるとはほんと思わなかった。この県内屈指のショボ部活はわりと楽しく、とりあえずテンポさえ合っていてフレーズがリズム通り吹けていれば上手いほうとされていたので、ここでも私はまた調子に乗った。

 

 中学生になった。姉と同じ学校を選んだ。姉は既にオーケストラ部でパートリーダーを務めていた。別に上手かったからではなく、1年生の頃から辞めずに続けたのが姉だけだったからなのだが、当時はそのへんがよく分からず、姉が楽しそうだったので追いかけるようにして同じ部活に入った。第1希望は体験入部の時になんか一番よく吹けた気がしたクラリネットを、第2希望は姉のパートを書いた。しかし劇的ショボ金管バンド部しかやっていなかった私はあまり実感していなかったのだが、クラリネット吹奏楽部で人数が必要なパートのため演奏人口が多く、中学生といえど経験者が多い激戦区だった。なのにオーケストラでは1学年に2人しか採用されない。このままだとオーディションが開かれると聞いて戦慄した私は、早々にリタイアしたのだった。第2希望は姉がパートリーダー権限で勝手に不採用にしていた。そんなのありかよと思った。そして私は第3希望に適当に書いていた、今も続けている楽器に決まったのだった。ちなみに第3希望には並べてコントラバスも書いていたのだが、体格的にやめておいて本当に良かったと思う。

 初めてオーケストラで演奏したのは、アンダーソン『シンコペイテッド・クロック』だった。簡単な割に愉快な曲で、単純なロングトーンすらひいひい言いながら演奏していたが楽しかった。ちなみに"音程"という概念はこの時初めて知った。

 最初の演奏会、その1年生の楽曲が(半分余興みたいな扱いで)終わると、上級生の演奏曲に移る。人生で初めて舞台裏で聴いた、人生で初めて通して聴いた交響曲は、ドヴォルザークの8番だった。なりゆきでパートリーダーになった姉が弾く上手なソロを舞台裏で聴きながら、この演奏会の終わりが姉を追いかける幼年期の終わりなのだと考えていたのを、今でもはっきり覚えている。全く違う楽器になった。演奏会が終わったら姉は部活を引退し受験勉強を始め、恐らく私は受けないだろう学校を受ける事が決まっていた。私は1年生で、これからが学校生活の始まりだった。

 

 その後、受験勉強で全く楽器に触らなかった時期もあるが、中学高校とオーケストラを続けた。文化祭で余興で吹奏楽バンドもどきを組んだり、小規模アンサンブルをやったり、基礎練を疎かにしながら充実した部活生活を満喫した。矛盾。部室にずっと「基礎練は管弦を救う」と誰の筆か分からない無駄に美しい書の半紙が貼ってあったが、今もまだあるだろうか。

 私以外にもう1人いた同じパートの同級生は早々に辞めたので、私もなりゆきでパートリーダーになる事になった。基礎練をサボっていたので知識がめちゃくちゃ欠如していたり、後輩のほうが全然上手かったりと色々冷や汗をかく場面が多かったが、とりあえず1年間を乗り切った。なんたって学年でこの楽器をやっているのが自分しかいないので、必然的に学年では一番私が上手いのだ。このレア感と持ち前の鈍感力を活かして、とかくドロドロになりやすく、楽器上手くあらずんば人にあらずになりやすいオーケストラという特殊人間関係においても私はうまくやっていた。と思う。多分。パートリーダーだけの会議の時なんてもう全部分かったような顔をして口から出まかせとハッタリと便乗をかまして乗り切っていた。乗り切れていると思っていたのは私だけかもしれない。今度あの頃の友達に聞いてみよう。

 人生で初めて演奏した交響曲は、シューマンの4番だった。何それ?最悪な事に全然記憶がない。思い出そうとして聴き返した時も、1・2楽章聴き終わっても何も思い出せず、3楽章に入ってやっと、あっやった事あるやつだ、となった。クラリネットのトレーナーの先生がシューベルトそっくりだったのだが、その人がシューマンの事をボロクソ言ってて面白かったのは覚えている。もうその先生の顔を思い出そうとしてもシューベルト肖像画しか出てこない。卒業以来会っていないがお元気だろうか。

 部活を引退する時は、最後の演奏会(ブラームスの4番だった)から2ヶ月ほどおいて引退式を行い、その時に引退メドレーと称して卒業する代が在籍中に演奏した曲を繋げて編曲して演奏するのが恒例だった。編曲した友人は本当にすごいなと思った。私は管楽器だったので、1回の演奏会につき1曲しか出ていない(どの曲も1パートにつき2人しか枠がないので)のだが、弦楽器の同級生たちは毎回ほとんど全曲に出ていた。なので引退メドレーには、弦楽器の子は演奏した事があっても管楽器は初見…という曲も多く、大変だったがとても楽しかったのを覚えている。中には姉が在籍中に弾いていた曲もあった。

 

 大学生になった。オーケストラを続けるかはまあまあ迷っていたが、雰囲気が良かったのでとりあえず入ってみた。思いの外活動費がかかってしまったので、バイトの収入がけっこうオーケストラに消える事になったのは誤算だった。大学で初めて演奏したのはウェーバー『魔弾の射手』だった。めっちゃ難しかった。今やっても多分大変だと思う。大学で初めての交響曲ベルリオーズ幻想交響曲』だった。その後も何回か演奏する機会があったが未だにうまくできないし、この曲に何かとんでもない性癖を植え付けられた気がする。

 多い時は年に4回合宿に行くサークルだった。合宿は本当に大好きだった。終わった後の飲みももちろん好きだった(そこでトレーナーの先生に「酔ってる時の演奏は自分ではすごい上手く感じられるけど後から録音聴き返すとやばいよ」と聞いて以来、一回だけ試してみたいな…と思いながらまだ一度も試せていない)が、雑事は都会にうっちゃって、とにかく楽器と演奏の事だけを考えていればいい時間と空間は楽しかった。「演奏会本番以外で今までで一番印象に残っている演奏は何か」と聞かれたら、私は迷いなく、外で雪の降りしきる中、暖房のきいた合宿先ホテルの大広間で練習したチャイコフスキーくるみ割り人形組曲 序曲』と答えるだろう。音楽に包まれた景色を、未だに鮮明に思い出せる。

 憧れていた先輩(彼女持ちだった)とのソロの掛け合いといった甘酸っぱいイベントもありつつ、青春をオーケストラで過ごした私は、大学でもなりゆきでパートリーダーになっていた。さすがに連続で同じパートの同級生に蒸発されたので、もしかして私のせいか?とかなり思い悩んだが、本人を捕まえて問いただしたところ全然私の関係ないところでただただ寝坊を繰り返し単位が危うくなったので親に激怒され楽器を取り上げられたのが原因だった。生温かく送り出して一人になった私を、先輩後輩は大変暖かく支えてくださった。1学年下の後輩なんかはなんと中高も私と同じ学校だったので、驚きの10年間近く同級生に飛ばれた私の良き相棒を務めてくれた事になる。マジでご迷惑をかけたのだが、その子がめっちゃ上手くておかげで私もオケめっちゃ楽しかったよ(ピース)

 マーラー1番の演奏をもって一旦サークルを引退し、就活でボコボコになり、卒業演奏会ではベートーヴェン9番、いわゆる第九をやった。マーラーの1番は曲想からしてもう若々しさとエネルギーが溢れていて、演奏しながら涙したのはこの時が多分初めてだった。第九は一度はやってみたかった憧れの曲で、同じ大学の合唱サークルとコラボする事で演奏が叶ったのだった。まさかその後めちゃくちゃ第九を演奏する機会に恵まれるとは当時は夢にも思わなかったよ。「兄弟たちよ、自らの道を進め」と歌う第九に送り出してもらえる人生で良かった。とにかく名曲に彩ってもらった青春だったのだと、今になって思う。

 学生最後の演奏はこの華々しい第九か、と思って過ごしていたが、入社数日前の春休み最後に、後輩から代吹き(休みの人の代わりに演奏すること)のヘルプ要請がきた。そんな綺麗には終わんないよな、と笑いながら練習に向かった。そこで演奏したのは大学で初めて演奏したウェーバー『魔弾の射手』だった。そんな綺麗な事あるかね、と笑ったのを覚えている。

 

 社会人になった。最初の1年は仕事と生活に慣れるのに精一杯で、オケに入るのは愚か楽器にすら全く触らなかった。おかげで次に楽器に触ったのは、そろそろ慣れてきたし…と思って地元のオーケストラの見学申し込みをした時になった。申し込みメールの返信には「念のため楽器を持ってきてください」としか書いていなかったのに、行ってみたらもう2ndの座席が用意されており、楽器ケース開けたの1年ぶりだっつってんのに座らされて初見でガーシュウィンの何か(曲はもう覚えていない)を吹かされ、練習終了後に入団届を渡され次回以降の乗り番の話をされた。そうして流されるまま入ったオケで、今ものんびり薄ぼんやりと活躍している。いいオケだ。私より歳下が全然入らず超高齢化社会に突入しそうなのを除けば。20代人口が常に2〜3人しかいない。うちのオケは日本という国の縮図なのかもしれない。

 

 演奏は難しいが楽しい。深刻な基礎練不足が祟って未だに音程も危ういし、息ももたないし、自分の演奏が好きだった事はあまりないが、でも楽しい。他の人の音と自分の音が混じり合う瞬間は、他の何物でも体験できない。

 曲を聴くのは昔は全然好きではなかった(長いし音量差激しいしスマホに入れたら容量食うし)が、今はサブスクで時々聴くようになった。17世紀の人間でもサブスクやってんだからSexy Zoneもサブスク解禁してくれや。

 演奏会は絶対途中で寝ちゃう(これ作った奴も絶対客寝かせる気で作っただろという曲も多い。逆に絶対寝た客を起こすつもりで作っただろという曲も多い)のであまり得意ではないが、でも行くのは好きだ。生で空間を震わせるものを感じないと伝わらない曲がクラシックは本当に多いから。生で聴くのを前提に作られているので、当然っちゃ当然である。でも演奏会のどんなSS席よりも、舞台上が一番最高の特等席だから、私は出るほうが好きだ。特等席のチケット確約特典のために、私はオケを続けているのかもしれない。

 

 何より、演奏していると、練習していると、1年前も5年前も10年前も、私は同じようにこの楽器に触れて、同じような事をしていたのを思い出せる。いつでもあの頃に戻ったような気持ちになれる。ブラームスの4番を聴けば、高校2年生の頃の友人が吹いたソロを思い出せる。幻想交響曲を聴けば、始まったばかりの大学生活を思うままに謳歌していた気持ちになれる。

 今や青春に繋がる鍵になったこの楽器を、私はたぶん身体が持つ限りは生涯手放さないだろう。健康に生きて、定年を越えても…周りに70歳以上の奏者はさすがにほとんどいないので限界はそのへんなのかもしれない…とにかくこの楽器に口を付ければあっという間に私の人生のどの瞬間にだって戻れるようにしておきたいから、出来るだけ辞める事なく、長く続けていきたいなと、そんな風に思っている。

2021/09/28 23:40〜23:58

 Sexy Zone結成10周年おめでとうございます。

 10年前私は部活に追われて睡魔と戦う高校生で、駅になにか広告が貼ってあるなあ…私より子どもだ…ぐらいにしかSexy Zoneを知らなくて、まさかそんな人たちが10年後にこんなにも深く私の人生に食い込んでくる事になるとは思わなかった。

 大学を出て就職して、人生すごろくのコマは自分から動かさなければもう何一つ動く事のない歳になって、何一つ動かせないまま「就職」のマスにしばらく立ち尽くしていた私にある日突然テレビの奥から転がり出てきた、思いがけない出会いだった。あれからまだ3年も経ってないけど、色々あったよ。仕事で人間関係が本当にしんどかった時にあなたたちの曲を聴いて泣いたり会社のロゴに立ち向かったりしたよ。感化されて自分一人で生活を背負ってみたくなって一人暮らしを始めて、好きなものだけに囲まれた大好きな空間を得たよ。恋をするのもいいものかもしれないと思ってチャレンジしてみたよ(こちらは失敗しました)。

 

 あなたたちが10年間ずっとそうしてきたように、私は今自分の人生すごろくのコマを自分で握って、自分で前に動かしている実感があります。あなたたちが10年間毎日、生きて、目の前の事に真摯に向き合ってきてくれたから、今私一人だけじゃない本当にたくさんの人の人生が前へ動いています。気が遠くなるような恐ろしい事かもしれないけれど、その恐ろしさを少し吹き飛ばせるぐらいの声援だけでも、これから先も変わらずあなたたちに。

 

 毎日ありがとう。あなたたちに出会ってからずっと感謝しています。

(音楽文再録) POPをばかにするなら、東京を海に沈めてみせて 〜Sexy Zone『POP×STEP!?』より「Tokyo Hipster」〜

(2020年2月13日掲載)

 

 「東京/トーキョー/TOKYO」はエモい。なぜかその響きだけで、私たちの心を揺さぶる力がある。当然、これをテーマにする楽曲は数え切れないほどあるし、タイトルに含む楽曲だけでも相当数にのぼるだろう。と思って歌詞サイトで調べてみたら、「東京」で1000曲以上、「トーキョー」で70曲以上、「TOKYO」で300曲以上あった。私も好きな楽曲がたくさんある。その中では東京は、慣れ親しんだ故郷を離れて見上げる大都会であり、少し背伸びして憧れる流行の最先端であり、人と人の繋がりが希薄な無機質な場所であり、世界から人が集まるシティであり、猥雑で汚れていて星が綺麗に見えなさそうな街である。人があれだけたくさんいるから、その分切り口もたくさんある。アーティストにとってはきっとどれだけ料理しても足りない素材の宝庫で、聴き手にとっても各々の「東京」に対する感情を一個乗せられるから聴きやすい。

 Sexy Zoneも御多分に漏れず、2020年というこの年に合わせて、「様々なポップソングを『Sexy Zone』というフィルターを通して東京から発信する」(レコード会社公式HPより引用)というコンセプトのアルバム『POP×STEP!?』を発売した。東京という街が色々と注目されるこのタイミングを逃さないのは、良くも悪くもなんというかさすがアイドルだ。アルバム自体は、過去のシティポップや80年代アイドルや歌謡曲を思わせる楽曲から、これがいわゆる「チルい」ってやつか…と思わされるような浮遊感・未来感溢れる楽曲まで実に多彩なポップソングが詰まっていて、非常に満足度が高かった。tofubeatsやLUCKY TAPES、chelmico…と楽曲提供陣にも有名なアーティストがごろごろいる。

 しかし買って通して聴いた時、ちょっと驚いた。コンセプトに掲げ、ジャケットやMVでも強調している割に、歌詞で「東京」が直接的に描かれる曲が一曲しかないのだ。タイトルを「Tokyo Hipster」という。


 「Hipster」を辞書で引くと、「通/流行の先端を行く人」を指す俗語だという。インターネットで調べたら、「カウンター・カルチャーを好む人」「誰も知らないようなマイナーな音楽を聞いて、先取りしていると勘違いして、一般人を見下している人々というような意味合いを込めて使われている」(『NUNC』-「【スラング英語の教科書】hipsterの意味と正しい使い方」より引用)という言葉らしい。この時点で、アイドルからの皮肉がすごいな、と思った。ジャニーズやアイドルやJ-POP全般をやや軽く見ていた頃の私が見たらちょっとイラっとくるだろう。
 中高生の頃、あまりJ-POP(とされるもの)は好きではなかった。なんなら聴いている人はちょっとダサいと思っていた。そりゃ時々はいい曲もあるし、昔の曲なんかは逆にオシャレなものもあるけど、最近のは似たような曲ばかりでうんざりすると、自分からろくに探しもせずに辟易していた。感情を揺さぶられない・薄っぺらいと思っていた。"POP"ってどんな音楽なのか、どういう事なのか、分かりもしていなかったくせに。
 「Tokyo Hipster」を聴いていると、その頃の事を思い出すし、小さな事にこだわってばかだったなあと思う。ポルノグラフィティなどの楽曲提供でおなじみの本間昭光氏が作曲した、壮大な曲調の歌いだしはこうだ。

 "渋谷あたりは谷底で 銀座はまだ海だった 大切なのはSun, Sun, Sunshine 太陽!"

 あまたのアーティストが焦がれて、そこに生きるたくさんの人々を、その心を描いてきた「東京」、この街をこうも簡単に海に沈めた楽曲があっただろうか。後半に至っては海に対比して太陽である。スケールが大きすぎる。上記箇所だけでは意味が分からないと思われるので、更に何か所か引用する。

 "地下鉄などないし 貨幣なんて無かった"
 "石器時代に もしも僕ら 出会っていたら 愛してると 君になんて伝えていたの?"
 "アルタミラの壁画みたい あんなリアルな線を 渋谷の街に Dance, Dance, Dancing 描きたい"
 "僕らホモ・サピエンス そんなに生きてないさ"

 より意味が分からなくなったかもしれないが、要するに「東京」を地球規模・人類の歴史規模で、とんでもないスケールで捉えた楽曲なのである。それでいて、"素肌伝う汗に 生きてると思うのさ"といった具合に、カメラはぐっと対象に近づく。痛快だけど、なぜ?という思いもぬぐえなくなる。もっと普通に「東京」という街自体の持つ色々な顔を描く手もあったのでは?と。おそらく、その答えはこの歌詞にある。

 "流行り廃りあることは わかっててもその先を 目指してく 僕たちは 風を感じる 最後の地球人だからね Tokyo Hipster"

 あの頃の私は、POPってその時その時の人気を得る事ばかり追っかけている音楽だと思っていた。私の好きなアーティストがどんな時代においても変わらない、人の感情の機微や、純粋にクールな音楽を追求しているのとは真逆だと。

 そうではなかったと、今なら、この曲を聴いた後なら分かる。Sexy Zoneはこの曲で、人類が生まれてから今に至るまでずっと変わらないものを描きたかったのだろう。Hipsterは皮肉でもなんでもなかった。本当に「流行の先端を」「その先を」目指していくという、決意表明だった。
 そして、このテーマを一番説得力をもって伝えられるのは、愛を歌うアイドルの他ない。この壮大さに耐えられるのは、幼くして"時代を創ろうSexy Zone"とこれまたとんでもないスケールで歌いながらデビューしたSexy Zoneの他にはいない。石器時代についてだって、彼らは歌うのは初めてではないのだ。

 あの頃の私に伝えたい。食わず嫌いしていると、東京を海に還してしまう、よく分からないけど面白い人たちを見逃すよと。

(音楽文再録)覇道と王道が両A面『麒麟の子/Honey Honey』 〜Sexy Zoneの現実と理想と非凡と普通〜

掲載日:2019年10月28日

 

 万華鏡のような"両A面シングル"だ。そう称させてもらう。収録曲の量(新曲6曲)と価格帯からすると、この度発売された本作『麒麟の子/Honey Honey』は実質的には三形態合わせたミニアルバムと言ってもよいのだが、収録曲それぞれがあまりにも違う種類の輝きを放っていてアルバムの括りにはおそらく嵌らないし、何より本作は両A面シングルならではの対称性が際立っている。
 いちいちレコードをひっくり返していた頃から、その実質的な意味が失われた現代に至るまで、数多くの両A面シングルが生まれてきた。何が最初に思い浮かぶかは人によって違うだろう。個人的には『不自然なガール/ナチュラルに恋して』だし、『魔法のじゅうたん/シャツを洗えば』の人も、『ロストマン/sailing day』『グッドバイ/ユリイカ』『Shout Aloud!/Beat Flash』『空が鳴っている/女の子は誰でも』『楓/スピカ』『Crazy Crazy/桜の森』の人もいるだろう。何なら最古の両A面と言われるビートルズの『Day Tripper/We Can Work It Out』がまず浮かぶ人もいるのかもしれない。
 今適当に挙げた曲にもいくつかあるが、両A面曲はプロモーションの都合や作品性の兼ね合いから、曲同士が対称的な性質を帯びる事が多い。それは音楽性の部分だったり、歌詞のメッセージ性だったり様々だ。前作『カラクリだらけのテンダネス/すっぴんKISS』もそうだったが、『麒麟の子/Honey Honey』は、あらゆる要素が笑っちゃうぐらい対称的である。

 

 『麒麟の子』は、現実との闘いの歌だ。高校を舞台にした映画・ドラマの主題歌のため、MVなどのイメージとしてはそれに合わせた演出がされているが、閉塞感を打破する力強いメッセージはあらゆる世代が「自分のことだ」と感じられるものだろう。どこか緩やかに焦燥感を煽られるような曲調と相まって、走り出さずにいられないような、何かを始めなければいけないような、そんな気にさせられる。

"限りない草原を 知らないままの僕らは こんなにも 汚れきった世の中を 有り難そうに生きてる"

"黄金の たてがみをなびかせた 勇気ある はみ出し者よ"

 学生も、社会人も、そうでない人も、何かしらの窮屈な思いを抱えている。"限りない草原"なんてものがこの世に存在するとは思わずに生きている。それを、Sexy Zoneは鼓舞してくる。踏み出せば、自分が知らない世界が見える、と。この曲は、"僕"に感情移入する歌だ。私がSexy Zoneと並び立つ歌だ。
 しかしこの曲はただのメッセージソングには収まらない。モチーフが特殊すぎる、なぜ異端児・はみ出し者を中華の神獣・麒麟になぞらえたのか。ご丁寧に、オリエンタル風の音階を曲中目立つ箇所に取り入れてもいる。日本では某ビール会社のロゴなんかで知られているとはいえ、そんなに馴染みのある動物とは言えない。というか、そもそもフィクションの存在だ。ただ抑圧から解き放たれる存在を描きたかったのなら、鷹でも獅子でも何でも良かっただろう。
答えはタイトル『麒麟の子』にあると私は思う。このタイトルはもちろん「麒麟児」の事で、歌詞の随所に出てくる"Wonder Child"と同じく、「神童」を指す言葉である。私はそれが、どうしても聴き手である私の事とはまだ思えない。どうしても、光り輝くステージ上に仰ぎ見たSexy Zoneの姿に重なる。下積み期間も短く(あるいはほとんど無く)平均年齢14.2歳というあまりにもな若さでその素質を見出され、デビューした彼らに。偶像として選ばれた、私から隔絶した存在。この曲が麒麟をモチーフにしなければならなかった理由は、実際に麒麟児から最高位の神獣・麒麟へと育ったSexy Zoneが歌う曲だからだ。そうとしか思えないぐらい、気迫を感じられる歌声だった。
 この『麒麟の子』は、成長した麒麟児たるSexy Zoneに導かれ、聴き手が各々の麒麟を育てて反逆する歌なのだと思う。本来どう考えても私の手の届かないような存在が、雨に打たれて同じ地平に立っている。

 

 そしてこの神々しいまでの感慨を見事に吹っ飛ばすのが、もう一つのA面曲『Honey Honey』だ。夢見るような音が鳴るのとほぼ同時の歌い出しを以下に抜粋する。

"うるうるなその笑顔 見つめちゃうのさ"

 うるうる。なんだそれ。なんだそれ。なんだ!?それ!?真面目に考えるべきではない。現実の悩みなんてどうでも良くなるような多幸感に溢れた曲調、とことん"キミ"に寄り添い甘やかすような歌詞、それらに身を委ねて何も考えずに癒されるのが楽しい。この曲は、"キミ"に感情移入する歌だ。Sexy Zoneと私が向かい合う歌だ。
 もちろん、よく聞くと"Please gimmie more, Soft にもっと"(1番)と"綺麗だよ、相当にもう"(2番)で韻を踏んでいたり、リズムの取り方で遊んでくる技巧的な箇所があったりするので、そういうものを見つける楽しみもある。何かのメッセージを強く伝えるというより、曲が持つ多幸感をそのまま届けられるよう工夫された歌詞だと感じる。
 現実世界にはこんなに私に都合のいい、優しくて気配りのできる人間はいません、解散……と全てを放棄しそうになる非現実感っぷりだが、一つひとつのフレーズを見てみると、意外とそのへんの恋する青少年が思っていそうな事もあったりする。

"笑ったり 泣いたり …手探りでも スベテが愛しい 触れていたい!"

"頑張り過ぎて 疲れてたり 真面目なキミは ほっとけない"

 なんか、意外と普通なのだ。大切な人を想う等身大の気持ちを、普通に歌っている。
 『Honey Honey』でのSexy Zoneの歌声には、『麒麟の子』ではあった力みがない。故意か偶然か、両曲とも前奏・間奏のスキャットが非常に印象的な作りになっているが、そこを比べるとはっきりと分かる。楽しそうで、はしゃいでいて、幸せそう。そんな調子で、以下のような歌詞をCメロでさらりと歌うのだ。

"素敵なキミを 幸せにするのが たぶんね 僕の使命だと思うんだ"

 理想的なアイドルとしての気概を、何でもない事かのように宣言する。この『Honey Honey』は、生身のSexy Zoneが、誰も手の届かない遠くから幸せをばらまく歌だと思う。そばにいるように思わせて、あまりにも遠く、高い。

 

 Sexy Zoneはこれまでもその表現の多彩さをシングル・アルバム等で示してきたが、"両A面シングル"という形で、相反するその在り方をいよいよ分かりやすく世に放ってきた。過去のあらゆる名作両A面シングルたちのように、曲同士がお互いの魅力を、異質さを引き出し合っている。
 世間の普通から隔絶された存在であり、かつ普通の生身の人間であるSexy Zone。彼らがこれから歩むのは、現実を戦い抜く事で浮かび上がる覇道と、理想によって形作られた王道、その両方なのだと、本作『麒麟の子/Honey Honey』を聴くと感じられる。覇道と王道は本来両立し得ない概念だが、私は結局、彼らのこの極端な二面性に強く惹かれている。正道になるか邪道になるかはまだ分からないが、その道行きが祝福される世の中であってほしいと願ってしまう。