三ヶ月坊主

個人的嗜好をSexyと戦わせるゆるオタク

万城目学『バベル九朔』(文庫版)の感想とSexy Zone『NOT FOUND』MVについて

 やっと読めたので、忘れないうちに感想を…当然のように物語の核心に触れるネタバレがあるので、未読の方は以下は読まない事をオススメいたします。

 

 10/19(月)24:59〜開始のドラマ『バベル九朔』でSexy Zone菊池風磨くんが主演するという事で、Sexy Zoneの一ファンとしてドラマ前に読んでおきたいな…と思い、ドラマ版の元になっているという角川文庫版*1を購入して読破しました。

読んだ結果。

 あまりにもラストシーンのカタルシスが悲しすぎてこれで終わりなんてあんまりだ!!!と放心状態になった後、あっでも大幅に異なるストーリーで映像化されるんだった😃✌️早く観たい😃✌️になった。

◼️テーマずるすぎ問題

 そもそも私は、「今までやってきた事が全部無駄かもしれない」という疑念に苛まれるシチュエーションに弱い。めっぽう弱い。追い求めてきたもの、積み重ねてきた時間がもし無駄だったら…?というどうしようもない焦燥。"時間"という一方通行で引き返せない道を走っている*2私たち人間は、引き返せないからこそ「無駄」という言葉、概念、事実には弱い。ちょっとやり直したら取り返しがつくような軽い内容ならまだ良いが、「将来の夢」「人生の進路」といったでっかい単位になると、そのあまりのやり直せなさに恐ろしくなってしまう。

 私は、人生にもDS版ドラクエみたいにセーブデータスロットが3つぐらい欲しいな…と大学生ぐらいの頃から思っている。その頃ぐらいから、自己顕示欲を思いっきり満たせそうな代わりにリスクがでかそうなルート・できる限りリスクを取り除いた安全そうかつ平凡なルートがなんとなく自分の前に見えてきていた。どっちかのルートに思いっきり全力で振った人生を送りたいなあ…それぞれの人生をセーブして並行して進めたい…と思いつつ、学生の頃はルートの間をどっちつかずにフラフラしてどちらにも全力を注がず、就職してからは安全ルートに落ち着きながらも別に仕事に全力も出さずにこうしてブログなんか書いて自己顕示欲を満たそうとちょっと足掻いたりしている。

 そんな思いが関係しているのか、身の回りにいた作家・俳優・芸人・ミュージシャンその他諸々志望だった知り合いの顔を思い浮かべたり、そこまで振り切れなかった…振り切るつもりもなかった自分の事を考えたりしながら前半のビル内でのキューサクくん*3の生活を読み進めていくうちに、私はどんどん感情移入してしまった。自分の名前がないか数ヶ月に一度文芸誌の賞結果ページに必死で目を通した記憶や、雑居ビルの最上階で大長編を手書きで書き続けたこの3年間の記憶が、私自身のものとして脳内にうっすらと見えてくるほどに。私もカラスは大の苦手だし。

 そして、これは危ないぞ、とキューサクくんがバベルに突入するぐらいで気付いた。ここまで感情移入しちゃうと、私は完全無欠ハッピーエンドじゃない限りものすごく引きずっちゃうのだ。

 

◼️ラストシーンつら好き問題

 私はハッピーエンド厨である。良い事についても悪い事についても、因果応報が大好きだ。登場人物が報われないと嫌だ。前述の通り、何かが無駄になるのがすごく怖いから…だと思う。物語の中でぐらい、人間(とそこに感情移入している私)にはできるだけ無駄は少なく気持ちよく人生を全うして欲しい。

 でも実際、(少なくとも私から見て)ハッピーエンドじゃない物語はけっこう多い。そして私は登場人物、主に主人公にかなり感情移入しやすい。すると自然と、辛い人生を追体験させられて、必要以上に心を揺さぶられてしまう事になる。私はそれを勝手に「物語酔い」と呼んでいる。これは小説でも映画でもなんでも、物語性があるもの全部で発生する。小さい頃は平気だったが、成長するにつれて物語酔いしてる場合じゃない局面…例えば次の日が試験だとかバイトだとか…が生活の中で増えてきて、だんだん苦手になった。だから私は高校生ぐらいからあまり読書も映画鑑賞もしていない。あんまり(私から見た場合の)バッドエンドじゃなさそうな作品にしか触れないようにしていた。

 だから今回みたいに、「だって風磨くんが今度主演するし、話知っときたいし…」という動機で作品に触れる…つまり語弊がものすごくあるが"この作品は大丈夫!と自分から選んで手に取ったわけじゃない作品"に触れるときは、めちゃくちゃファイティングポーズを取りながら進むわけである。バッドエンドかもしれない…あんまり登場人物に入れ込んではいけない…自分が後から辛くなるだけ…と思いながら。だからキューサクくんにめちゃくちゃ感情移入している自分に気付いた時に「やばい」と思ったのだ。

 そして結局やばかった。ラストシーンの、キューサクくんが綴じ紐を切って、3年間書き続けて完成させた原稿を空に解き放つ、あの場面。3年間という時間が(少なくとも"夢を叶える"という目的に対する手段としては)「無駄」になって音を立てて崩れ落ちていく、あの非現実的で、爽快で、絶望的な瞬間。

 なんで謎の少女と一緒に扉くぐらなかったんだよとか、今時小説原稿を全部手書きで書く奴がおるかとか色々気になった点はあるけど、作者はあの美しすぎるラストシーンがやりたかったんだろうな…と思うと黙るしかない。そう、私はあのシーンを読んで大変な衝撃を受けると同時に「美しすぎるな」と思ってしまった。光景としては、きっと夢みたいに美しいだろう。作品全体を通して「夢を見ることで生まれた無駄」については肯定的だったのではないか?と思える美しさだった。

 でもどれだけ美しいラストシーンだろうが、少なくともハッピーエンドでない事は明らかだ。キューサクくんはバベルの新たな管理人になり、目下現実世界に帰る術は見当たらず、とりあえず自分の存在ごとバベルを精算されないよう時間稼ぎのために3年間の努力の結晶をパーにした。管理人の権能を手に入れたわけだし、おそらく何とかして現実世界に帰る事はできたのではないか?と予想はしているが、作中ではそこまでは描かれない。実際、まだ現実世界に帰れていないキューサクくんが、管理人としての権能を使えば作業員に扮して現実世界のキューサクくんに干渉はできたわけで…でもおそらくその権能が効くのはビル内だけだろうし…。この何とも言えない結末で、あああ続きが気になる!!!!!キューサクくんはこの後どうなったんだ!?!?となった読者はきっと多いんじゃないだろうか。

 

◼️ループし続けるのか?問題

 ここで注目したいのが、キューサクくん最後の台詞だ。

取りあえず、俺が小説を書いてるときは邪魔するなよ

そう、「小説を書く」と明言しているのだ。おそらくは、扉へと追い立てられたほうのキューサクくんがまた戻ってくるまでの間、追い立てたほうのキューサクくんは小説を書いて過ごすつもりなのだろう。長編の三分の一を空に解き放った時点で「半日ほどバベル崩壊までの猶予が延びた」という言及があるので、全部解き放った後は単純計算だと一日半ほど時間が生まれた事になる。一方カラス女は、

時間は好きなだけあるようだから、扉でも探そうかしら。

と発言している。時間は有限なのか無限なのかどっちだ。現実世界では一日半だけど、バベル内では管理人の権能で時間の進みを遅くしたりできるんだろうか。

 とにかく、キューサクくんはラストシーンを以って、誰にも邪魔されずに小説を書く時間と、格好の題材となり得る体験を得た。ラストシーン直前の、原稿扉にタイトルを書く場面、および冒頭のページの内容が風に煽られて見える場面から、キューサクくんの原稿=私たちが今まで読み進めてきたこの『バベル九朔』という作品であることが明示されている。私はループ物の教養がほぼないのでトンチンカンな事を言っているかもしれないが、こういう感じじゃないかと思うのだ。↓

 

・キューサクくん(①)バベルに旅立つ

・紆余曲折の冒険を繰り広げる

・謎の少女を現実世界に帰してバベルと現実世界(作中の)を接続させる(扉は消える)

・キューサクくん(①)が新たなバベルの管理人になる

・冒険を終えたキューサクくん(①)が過去の自分(②)を追い立ててバベルへ旅立たせる

・原稿(①)に『バベル九朔』と名付ける

・原稿(①)を空に解き放ってバベル崩壊を先延ばしにする

現実世界(作中の)との接続が解かれ、キューサクくん(①)はここまでの冒険の事を綴った新たな『バベル九朔』となる原稿(②)を書き始める

・冒険を終えたキューサクくん(②)が戻ってきて新たなバベル管理人になり、過去の自分(③)をバベルに旅立たせる

・キューサクくん(②)はさっきまでキューサクくん(①)が書いていた原稿(②)に『バベル九朔』と名付け、空に解き放つ

以下ループ

 

この場合、キューサクくん①はどこに消えるのか?という問題はあるが、原稿を完成させるたびに現実世界に帰れてるんじゃないかな。そうだといいな。(願望)

 

◼️ドラマ版の位置付け

 上記ループ説をとると、キューサクくんだけでなく原稿も①②…と際限なく増えていく事になる。これらの内容は全て同一、私たちが読み進めた『バベル九朔』なのだろうか?

 私は、そうではないと考える。なぜなら、

(前略)原稿のコピーは取っていない。すべて手書きなのでデータもない。もう二度と、同じものは書けないだろうと思ったら、急に視界がかすんできた。

という言及があるからだ。同じものは書けないので、当然書くたびに内容は少しずつ変わってくる。もしかしたらその時のキューサクくん(n)の気分次第では、大幅に変わるかもしれない。

 そしてそれは、現実世界(作中の…じゃなくて私たち読者のいる世界)のこの『バベル九朔』という作品の在り方にも繋がっているといいな、と私は夢想した。この『バベル九朔』という作品は、現実世界(私たちのいるほう)において単行本版・文庫版と大幅に内容を変えて複数回出版されている。もしかしたら、単行本版が原稿①で、私が読んだ文庫版は原稿②かもしれない。

 先程のループ説で整理した通り、キューサクくんが原稿を空に解き放つシーンはどのループでも必ず「バベルと現実世界が接続されている間に」行われる。あの美しすぎるラストシーンで、空をはためいて飛んでいった、原稿①からはかなり大幅に内容や設定が変わった原稿nが、いつかどこかのループでドラマ化されて、それを風磨くんが演じているんじゃないか…と私は夢想する。そう捉えたら、全然ハッピーエンドじゃん。いや文庫版単体がハッピーエンドじゃない事は変わらないけれど、『バベル九朔』という物語のループ全体が、ドラマ版によって今度こそハッピーエンドになるんじゃないかというような、そんな気がしている。

 

◼️『NOT FOUND』MVとの繋がり

※ここから先は、現時点では主題歌『NOT FOUND』が発売前(2020年11月4日発売予定!!!!!)につきMVがCメロ直前までの尺のYouTube ver.しか公開されていない為、憶測に基づいた内容になりますのでご了承ください。また、後から追記しやすいように箇条書きで記載します。

 

・非常に印象的に残るカラフルなセットは、エッシャーの作品のような入り組んだ騙し絵的構造をしている。単行本版表紙→文庫版表紙→ドラマメインビジュアルと、徐々に存在感を増している"階段"のモチーフがMVのセットにも随所に見られるのが特徴だろう。

バベル九朔 (角川文庫)

バベル九朔 (角川文庫)

 
バベル九朔

バベル九朔

  • 作者:万城目 学
  • 発売日: 2016/03/19
  • メディア: 単行本
 

今のところMV中に特に階段を使った仕掛けはない(登り降りも、後述するDance shot ver.で振付の切り替えになる場面で行うだけ)ものの、このセットが作中のバベルをイメージしているのはまず間違いないだろう。

 私はMVを観た後に一気に文庫版を読破したのだが、このMVを最初に観た時に「悪夢みたいな色使いしてるな」と思った。ドラマ版はあらすじや登場人物紹介を見る限り、現在のテナントメンバーおよび彼らが見る「夢」に焦点が当たるようなので、風景自体は現実の雑居ビルとそう変わらない原作版バベルのようなリアリティ重視のセットではなく、「夢」感を強調した現実離れしたセットになっているのだろう。

 

・夢の中のようなセットには、深緑〜黒っぽいスーツを着て踊るメンバー5人と、セットの色合いに合わせたようなカラフルな衣装を着て意味深な動きを繰り返すメンバー5人が登場する。ここでは前者をスーツセクシー、後者をカラフルセクシーとする。ネーミングセンスがなくて申し訳ありません。

 スーツセクシー達は、実に表情豊かだ。リップシンクシーンでの感情のこもった顔、身振り手振り、ダンスシーンでの揃ったエモーショナルな動き、エネルギー。現実世界でのいつものメンバー、いつものSexy Zoneの作品に近いのはこちらのスーツセクシーのほうである。

 一方のカラフルセクシー達は、同じ動きをひたすら繰り返し、表情は無表情に近い強ばったもの。静止して全く動かなかったり(動けなかったり?)、他のメンバーに動きを制限されているようなポージングをとっている。色合い的にはどう考えてもこちらのほうが楽しそうなのに、明らかに"不自由"なのがカラフルセクシーだ。

 このスーツセクシーとカラフルセクシーとの相関性が気になるところだが、色々な説があると思う。カラフルセクシー達が「こんな風に自由に動いて踊りたい」と夢見た姿がスーツセクシー説、逆に私たちファンが見慣れているスーツセクシー達が実は夢(バベル)の中では囚われていてなんとかしようともがいている、など…

 

 

 

・スーツセクシーは「カラス」のイメージなのでは?とも思う。色彩豊かなバベルの夢の中に現れた異質な存在。ファンが見慣れているのはスーツセクシー達のように自由に動く姿なのだが、バベル(をイメージしたセット)の中ではスーツセクシーのほうが明らかに異質である。

 そもそもカラスは、「太陽の象徴」「神の使い」とされる伝承が世界各地にあったりする一方、「死」を連想させる存在でもある。死肉とかゴミをあさったりするしね。歪なバベル世界を清算=終焉させに訪れる神の使いとしてはこの上ないモチーフだが、スーツセクシー達がそれだとしたら…?

 バベルを終わらせにやってきたスーツセクシー達が、ひたすら歌い踊り、このMVを終わらせに追い込む…そんなエンドになってるんじゃないか、期待は膨らむばかりです。明日発売してくれ。

 

・カラフルセクシー達は、同じ動きをひたすら繰り返している描写が目立つ。これは原作キューサクくんが陥った先述のループを意識しているとみてまず間違いない…だろう…多分…(自信喪失)ループを繰り返すうち、風磨くんのそばに健人くんが積んだ5つのキューブは崩れなくなり、冒頭で隠されていた目や口や耳は解放されていく。*4スーツセクシー達がバベルを清算しに現れたカラスなら、カラフルセクシー達はバベルから脱出しようともがいている、バベルに囚われてしまった人々なのかもしれない。

 

・原作には登場しないがおそらくドラマ版において文字通り鍵となるモチーフが、MV冒頭で風磨くんが音を鳴らす「鍵」である。この鍵はドラマで使用されるものと同じ「バベルの鍵」である、とドラマ公式Twitterで明言されている。

この鍵はバベルの鍵(おそらく現実世界とバベルを行き来するためのキーアイテム?原作でいう"扉"の絵画のようなものだろうか…)であると同時に、現実世界におけるバベル九朔というビルの各階ドア用の鍵でもある。下記PR映像冒頭で、キューサクくんが四条さんから受け取る鍵がそれ。*5ちょうどバベル九朔は5階建てなので鍵も5本あり、MVで風磨くんが持っている鍵も5本、つまりメンバー全員分ある。

 MV中の1番サビで、カラフルセクシー達は何度も何度も風磨くんが持つ鍵に手を伸ばす動きをループする。視線は誰も風磨くんに向けずカメラを見つめたままで、異様さ・非現実感が強調されている。無意識のうちに手を伸ばしているように見えるのは考えすぎだろうか。カラフルセクシー達は意識下ではバベルの夢の中を出ようとはしていないが、無意識下で現実世界に戻ろうとしている…というのは邪推だろうか。

 

・ちなみに、カラフルセクシー達は踊らない。全く踊らない。唯一風磨くんがラップの時にちょっと手振りをするだけだ。管理人の権能か?

 よって別撮りのDance shot ver.も、踊るのは全編スーツセクシーだ。徹底してる〜。

 このDance shot ver.は、通常版と比べて明らかに画面の彩度が落ちている=現実世界に接続されかかっている? また、随所で空間がずれたような・歪むようなエフェクトが入っているが、これは崩壊しかかっているバベルを表しているのだろうか…だからスーツセクシー達がこの世界に現れたんだろうか…

 

・スーツセクシーがバベル=夢の世界を終わらせて現実に還す者、カラフルセクシーが夢を見て(そしてバベルにいるという事は少なくとも一度は夢に挫折して)いる存在だと考えると、エグ…となってしまった。でも、キューサクくんがこれからループを繰り返すだろうことが示唆されて終わったあの原作のエンドを思い浮かべると、そこからループを繰り返して徐々に変わっていくカラフルセクシーの姿を見て、なんだか希望が持てる。

 MVのラストがどう転ぶかはまだ分からないしシングルは明日発売にしてほしいが、「現状を打破して現実世界で戦っていく」エンドがいいなあと個人的には思っている。ハッピーエンド厨なので…。

 

※随時追記していきます。下記リンクが、とりあえず明日発売になってもらわないと困る『NOT FOUND』のレーベル公式HP。カップリング曲も試聴できるぞ。

topjrecords.jp

*1:単行本版のほうがまず出版され、そこから大幅に改稿を加えたのが文庫版との事。単行本版は未読です。

*2:Sexy Zoneのnow on saleな前作シングルタイトルが『RUN』なのはたまたま。たまたまか?どうなのそこんとこ?

*3:『バベル九朔』主人公・九朔満大のこと。逆転裁判の登場人物っぽくてなんとなく気に入ったので、私はこう表記しています。

*4:ちなみに、それぞれの変化についてはおそらく五感に紐付いている説をとってだいたいいいんじゃないかと思っている。健人くんは目を覆っていた腕を外して視覚を解放し、勝利くんは耳を覆っていた手を外して聴覚を解放。聡ちゃんは手を離して触覚を解放、マリウスは腕を鼻に近づけて嗅覚を解放。唯一風磨くんだけは、口を覆っていた腕を外しているものの味覚ではなく"言葉"を解放したんじゃないかと思う。原作では"言葉"がバベルにおける鍵とされ、ラストシーンにも"言葉"の重要性を現すカラス女の台詞がありましたし……

*5:関係ないが、PR映像にも公式HP相関図にも、母・三津子、伯母・初恵が出てこない。代わりに原作ではほぼ登場しなかった父親の設定が追加されていたり、家族周りや謎の少女の正体の設定は、ドラマ版と原作は大幅に変わりそうである。