三ヶ月坊主

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(音楽文再録)覇道と王道が両A面『麒麟の子/Honey Honey』 〜Sexy Zoneの現実と理想と非凡と普通〜

掲載日:2019年10月28日

 

 万華鏡のような"両A面シングル"だ。そう称させてもらう。収録曲の量(新曲6曲)と価格帯からすると、この度発売された本作『麒麟の子/Honey Honey』は実質的には三形態合わせたミニアルバムと言ってもよいのだが、収録曲それぞれがあまりにも違う種類の輝きを放っていてアルバムの括りにはおそらく嵌らないし、何より本作は両A面シングルならではの対称性が際立っている。
 いちいちレコードをひっくり返していた頃から、その実質的な意味が失われた現代に至るまで、数多くの両A面シングルが生まれてきた。何が最初に思い浮かぶかは人によって違うだろう。個人的には『不自然なガール/ナチュラルに恋して』だし、『魔法のじゅうたん/シャツを洗えば』の人も、『ロストマン/sailing day』『グッドバイ/ユリイカ』『Shout Aloud!/Beat Flash』『空が鳴っている/女の子は誰でも』『楓/スピカ』『Crazy Crazy/桜の森』の人もいるだろう。何なら最古の両A面と言われるビートルズの『Day Tripper/We Can Work It Out』がまず浮かぶ人もいるのかもしれない。
 今適当に挙げた曲にもいくつかあるが、両A面曲はプロモーションの都合や作品性の兼ね合いから、曲同士が対称的な性質を帯びる事が多い。それは音楽性の部分だったり、歌詞のメッセージ性だったり様々だ。前作『カラクリだらけのテンダネス/すっぴんKISS』もそうだったが、『麒麟の子/Honey Honey』は、あらゆる要素が笑っちゃうぐらい対称的である。

 

 『麒麟の子』は、現実との闘いの歌だ。高校を舞台にした映画・ドラマの主題歌のため、MVなどのイメージとしてはそれに合わせた演出がされているが、閉塞感を打破する力強いメッセージはあらゆる世代が「自分のことだ」と感じられるものだろう。どこか緩やかに焦燥感を煽られるような曲調と相まって、走り出さずにいられないような、何かを始めなければいけないような、そんな気にさせられる。

"限りない草原を 知らないままの僕らは こんなにも 汚れきった世の中を 有り難そうに生きてる"

"黄金の たてがみをなびかせた 勇気ある はみ出し者よ"

 学生も、社会人も、そうでない人も、何かしらの窮屈な思いを抱えている。"限りない草原"なんてものがこの世に存在するとは思わずに生きている。それを、Sexy Zoneは鼓舞してくる。踏み出せば、自分が知らない世界が見える、と。この曲は、"僕"に感情移入する歌だ。私がSexy Zoneと並び立つ歌だ。
 しかしこの曲はただのメッセージソングには収まらない。モチーフが特殊すぎる、なぜ異端児・はみ出し者を中華の神獣・麒麟になぞらえたのか。ご丁寧に、オリエンタル風の音階を曲中目立つ箇所に取り入れてもいる。日本では某ビール会社のロゴなんかで知られているとはいえ、そんなに馴染みのある動物とは言えない。というか、そもそもフィクションの存在だ。ただ抑圧から解き放たれる存在を描きたかったのなら、鷹でも獅子でも何でも良かっただろう。
答えはタイトル『麒麟の子』にあると私は思う。このタイトルはもちろん「麒麟児」の事で、歌詞の随所に出てくる"Wonder Child"と同じく、「神童」を指す言葉である。私はそれが、どうしても聴き手である私の事とはまだ思えない。どうしても、光り輝くステージ上に仰ぎ見たSexy Zoneの姿に重なる。下積み期間も短く(あるいはほとんど無く)平均年齢14.2歳というあまりにもな若さでその素質を見出され、デビューした彼らに。偶像として選ばれた、私から隔絶した存在。この曲が麒麟をモチーフにしなければならなかった理由は、実際に麒麟児から最高位の神獣・麒麟へと育ったSexy Zoneが歌う曲だからだ。そうとしか思えないぐらい、気迫を感じられる歌声だった。
 この『麒麟の子』は、成長した麒麟児たるSexy Zoneに導かれ、聴き手が各々の麒麟を育てて反逆する歌なのだと思う。本来どう考えても私の手の届かないような存在が、雨に打たれて同じ地平に立っている。

 

 そしてこの神々しいまでの感慨を見事に吹っ飛ばすのが、もう一つのA面曲『Honey Honey』だ。夢見るような音が鳴るのとほぼ同時の歌い出しを以下に抜粋する。

"うるうるなその笑顔 見つめちゃうのさ"

 うるうる。なんだそれ。なんだそれ。なんだ!?それ!?真面目に考えるべきではない。現実の悩みなんてどうでも良くなるような多幸感に溢れた曲調、とことん"キミ"に寄り添い甘やかすような歌詞、それらに身を委ねて何も考えずに癒されるのが楽しい。この曲は、"キミ"に感情移入する歌だ。Sexy Zoneと私が向かい合う歌だ。
 もちろん、よく聞くと"Please gimmie more, Soft にもっと"(1番)と"綺麗だよ、相当にもう"(2番)で韻を踏んでいたり、リズムの取り方で遊んでくる技巧的な箇所があったりするので、そういうものを見つける楽しみもある。何かのメッセージを強く伝えるというより、曲が持つ多幸感をそのまま届けられるよう工夫された歌詞だと感じる。
 現実世界にはこんなに私に都合のいい、優しくて気配りのできる人間はいません、解散……と全てを放棄しそうになる非現実感っぷりだが、一つひとつのフレーズを見てみると、意外とそのへんの恋する青少年が思っていそうな事もあったりする。

"笑ったり 泣いたり …手探りでも スベテが愛しい 触れていたい!"

"頑張り過ぎて 疲れてたり 真面目なキミは ほっとけない"

 なんか、意外と普通なのだ。大切な人を想う等身大の気持ちを、普通に歌っている。
 『Honey Honey』でのSexy Zoneの歌声には、『麒麟の子』ではあった力みがない。故意か偶然か、両曲とも前奏・間奏のスキャットが非常に印象的な作りになっているが、そこを比べるとはっきりと分かる。楽しそうで、はしゃいでいて、幸せそう。そんな調子で、以下のような歌詞をCメロでさらりと歌うのだ。

"素敵なキミを 幸せにするのが たぶんね 僕の使命だと思うんだ"

 理想的なアイドルとしての気概を、何でもない事かのように宣言する。この『Honey Honey』は、生身のSexy Zoneが、誰も手の届かない遠くから幸せをばらまく歌だと思う。そばにいるように思わせて、あまりにも遠く、高い。

 

 Sexy Zoneはこれまでもその表現の多彩さをシングル・アルバム等で示してきたが、"両A面シングル"という形で、相反するその在り方をいよいよ分かりやすく世に放ってきた。過去のあらゆる名作両A面シングルたちのように、曲同士がお互いの魅力を、異質さを引き出し合っている。
 世間の普通から隔絶された存在であり、かつ普通の生身の人間であるSexy Zone。彼らがこれから歩むのは、現実を戦い抜く事で浮かび上がる覇道と、理想によって形作られた王道、その両方なのだと、本作『麒麟の子/Honey Honey』を聴くと感じられる。覇道と王道は本来両立し得ない概念だが、私は結局、彼らのこの極端な二面性に強く惹かれている。正道になるか邪道になるかはまだ分からないが、その道行きが祝福される世の中であってほしいと願ってしまう。