Sexy Zoneのファンに、出会ってからハマるまでの経緯をインタビューする企画「マイ・ハイライト・オブ・セクシーゾーン」。記念すべき第1回は、以前からめちゃくちゃお世話になっている*1、あきちんさん(Twitter:@dyhmfs)へのインタビューになった。
インタビューしてみて浮かび上がってきたのは、一人の人間の人生に深く食い込み、青春を照らし、転機にすら成り得る、『アイドル』という概念の凄みだった。
■アイドルというものがずっと好き
Sexy Zoneに出会ったのは大学1年生とかだったんです、2015年末。ジャニーズで最初に好きになったのはごくせんきっかけの亀梨くんです。雑誌を読んだりCDを買ったりしたのは男性アイドルだとKAT-TUNが初めてですね。
そこから小学校5年生から中1ぐらいまで、探偵学園QきっかけでHey! Say! JUMPの山田涼介くんのオタクをしていて。
――あ、そうなんですね。Sexy Zoneが最初ではなくて、元々ジャニオタだった。
中学1年生で上京してきて、そこからジャニーズのコンサートに行き始めて。それが私の、ふまけんファーストタッチ……っていうとあれですけど(笑)
――じゃあジュニアの時のふまけんは観た事があったんですね。
そう、超しゃしゃり出るジュニアいるなと思って(笑)、スクラップティーチャーも観てたし、っていうような世代です。当時バレーボールをやっていたので、NYCやB.I.Shadowも知ってました。
だからSexy Zoneのデビューもリアルタイムで知ってはいて、ふまけんここでデビューなんだ!?このちっちゃい子たち誰!?みたいな。川崎でデビュー記念イベントがあって、友達に一緒に行かない?って当時誘われたんですけど、行きませんでした。
――そのぐらいの、ゆるく知ってるな~という感じだったんですね。
ただ韓国のグループって「7年の壁」って俗に言われていて、私の好きなグループも例外ではなく、メンバーが兵役に行っちゃったり解散したりして……。受験も重なってちょっと熱が落ち着きました。
――なるほど……お話を聞いてると、『アイドル』ってものが小学生ぐらいの頃からずーっと好きだったんですね。
そうです。ちっちゃい頃から好きです。
――わりと切れ目なく。
「見境なく」って言った方が正しいですね(笑)私一人っ子なんですよ。友達と遊ぶっていうのもあったんですけど、土日なんかはテレビと向き合ってる時間がめちゃくちゃ多くて。それにその頃の小学校の会話って「どんなアイドルが好き?」とかじゃないですか。体育祭で踊ったりもしましたし。
――あ~ありましたね、そういうの。
――確かに……今って娯楽の選択肢いろいろありますもんね。
そうそう。だからもう、アイドルすごい好き!みたいな、そういう感じはずーっとありましたね。
――ああ……。
これから先9期が引っ張っていくモーニング娘。を見られると思っていたのに……って、喪失感に苛まれてた時期が、2015年の終わり頃です。
■テレビの中の
――それがその時期なんですね……!
そうなんです。その時期に、モーニング娘。も年末の歌番組とかに呼んでもらえる事が多くて……観てたら、ちょうど5人に戻った頃のSexy Zoneの、『カラフルEyes』の活動期が、鞘師の卒業シングルの活動期と被ってて。『カラフルEyes』を耳にする機会が多かったんです。自分ももともとジャニオタだし、周りにもジャニオタは多かったし、3人になったりしたのも、オタクの受動喫煙じゃないですけど(笑)
――(笑)。なんとなく耳に入ってくる事ってありますよね。
そう(笑)5人に戻ったんだね良かったね~、と思いながら観てたんですけど、だんだん気になってきて……自分が大好きだった韓国のアイドル達がだんだん活動がなくなったり解散したりで状況が変わっていって、その後支えにしていたハロプロの、重要なメンバーが卒業するって分かってしまった時期で、もう一つ何か支えが欲しいな、って思ってたのかな、って今は思ってます。
――なるほど……ここまでの遍歴を聞いていると、割とこう、気になったらぱっと入っていく感じというか。
そう。アイドルに対しては、嫌いになる……という事は無くて、優先順位が変わっていくイメージですね、私の中で。
――その優先順位の中で、Sexy Zoneがこう、ぐって上に来たな!ってタイミングってあるんですか?
年末年始の音楽番組で『カラフルEyes』がすごい耳に残ってて、決定的だったのは2015年12月のMUSIC JAPAN。Perfumeが司会だった音楽番組。
――ああ~!ありましたね!!!*3
ちょうどセクシーが出る回と、鞘師の卒業スペシャル回が一緒だったんです。原始のモーニングセクシー!そのタイミングでズドンとハマったわけじゃなかったんですけど、やっぱり曲がいいなあ……と思い始めて。自分から積極的に情報を取りにいくというか、Sexy Zoneについて調べ始めたのがそこですね。2015年12月の15日か16日……どっちかだった気がする。
――ちょっと後で調べておきます(笑)。(2015年12月13日でした。惜しい。)
こいつらヤバい!と思ったのは、カラフルEyesのB盤に収録されてる、カラフルEyesお披露目ファンイベント映像を観る機会があって、そこで「俺たちの恋愛ゲームがあったら」っていうくだりがありまして……めっっっちゃ面白いじゃんこの子たち!となりまして。
そこからはもう、急激に興味が沸いてきて、彼らの出ている番組を、「彼らが出てるから」って理由で観るようになりました。
――そこでSexy Zoneの優先順位がドカンと上がってきたわけですね。年末年始って番組多いですし、ハマりやすいですよね。
5人に戻ったばかりのタイミングっていうのも大きかったと思います。デビューした頃の記憶があったので、あんなにちっちゃかった子たちが……!っていう衝撃もあり。
正月休みにお年玉握りしめてTSUTAYAに駆け込んでCD全部借りて。えっバラエティだけじゃなくて曲も全部好きなんだが!?になって。ちょこちょこ曲は音楽番組とかで聴いた事はあったんですけど、じっくり聴いたのは初めてだったので……曲もめっちゃいいじゃん……って。そして私は、BYAKUYAにぶち当たるんです。
――白夜……?びゃく……ああ!(遅れて合点がいく)
松島聡くんが少年俱楽部で披露した『BYAKUYA』(NEWSの楽曲)の映像をたまたま観て……。私の好みの踊り方をする……私の好みの歌い方をする……あっ、無理だ!!!!!と思いました。私、松島くんかもしれない!!!!!って。
――wwwwwじゃあ「松島くんだ!」って瞬間は結構はっきりしてるんですね。BYAKUYAだ!っていう。
もともと男性アイドルは、小柄・動物っぽい顔・好きなダンスの踊り方をする人が好きで。あとたまたまですけど、抜けている人が多い(笑)
■振り返るハイライト
同じ頃、ウェルセクの発売とツアーの発表がありました。そこ目がけて、猛スピードで履修していきましたね。「現代のジャニオタの動き」みたいなものを習得していったのもこの時期です。
――このタイミングでウェルセクだったんだ……じゃあ、コンサート行きたいからそこで初めてSexy ZoneのFCに入ったんですか?
入る前に行きましたね。その頃、まだFCの入会がネット経由じゃなくて郵便局行かないといけなかったんですよ(笑)
――あ~~~~~そっか(衝撃を受ける音)私ネットしか知らない……
FCに今から入ってたら間に合わない!っていうので。高校の頃の友達でFC会員がいたので、その子と一緒に行きました。そのタイミングで、今のTwitterアカウントを開設しました。もともと持ってたリア垢でもモーニング娘垢でも、これ以上はもうSexy Zoneの事つぶやけない!ってなったので。
――(Twitterを開設するタイミングって大きいよなあ……)
ウェルセクは当時、ポニキャのポップアップストアでフラゲしました。メンカラのタオル付限定版は松島くんのタオルを買って。
――じゃあもうそのタイミングでは完全に「松島担だ!」ってなってたんですね。
自我はもう松島担でした。風磨くんに抗えない松島担(笑)
ウェルセクに収録されてたソロ曲の『But…』がめっちゃ良かったのと、この頃に観たセクチャン東北旅のふまそうの絡みが好きすぎて、あっ私はこれはふまそうで推すんだ……と悟りました。
――もう今の基礎がガチガチに出来上がってますね(笑)
この後、あきちんさんからは色々な当時(2016年~2017年)のお話を聞く事ができた。雑誌を定期的に買い始めた事、初めて聴いたQRの思い出*4、バイト終わりにQRを聴くのが習慣になり、どんどん生活にSexy Zoneが根付いていった事……。
まだ当時はセクチャンからも1年も経ってない時期で。「あの頃はこうだったんじゃ……」的な貴いお話を先人のオタクからたくさん聞けたんですよ。
――(それを私は今こうして聞いてるわけか…)
また、Sexy Zoneに転げ落ちた頃には既に2016年の夏から韓国に留学する事が決まっていたあきちんさん。5周年は韓国で迎える事が確定していたので現地のオタク友達を作るためにTwitterを大活用したり、関連イベントの度に帰国して時には日本滞在時間が24時間しかなかったり(さすがにそれを聞いた時には「24じゃないっすか」と言ってしまった)、大変エネルギッシュにオタク活動されたそうだ。
韓国へ留学に旅立ったのは今でもはっきり覚えてます、8月26日でした。
――なぜそんなにはっきりと……?
8.25の翌日ですよ。
――ああ~~~~~!!!!!2016年!
出国なのに朝寝坊しましたもん、前日眠れなさ過ぎて。
――起きてる場合じゃないっすもんね(?)
そんな数々のハイライトを経て、自然とメンバー全員の事が好きになっていったという。
松島くんがお休みした後も……PAGESの初日次第では、その時持ってたチケット全部もしかしたら手放すかもなって思ってたぐらいの、時期だったんですけど。でも、PAGESがあまりにも楽しすぎて。自担がいないのに、一番行ったツアーになりました。チケットが勝手に増えていくという(笑)
今やっているブログも、Sexy Zoneにハマってから書き始めました。それまで雑誌とか買う事はあんまり無かったんですけど、Sexy Zoneはとにかく言葉が好きで。どんどんテキストのオタクになっていきました(笑)
大学で文化論とか、文化比較とかをやっている時期だったのもあって、自分の文章の書き方も変わってきて……長い文章で思いをしたためるという事は、Sexy Zoneと出会ってから始めました。
■火をつけるのは
――お話を伺っていると、人生の色々なタイミングと、Sexy Zoneを追っている軌跡がこう、グッと噛み合っている感じがしますね。一番アクティブに動ける大学生時代に5周年を迎えて、数々の現場があって。ブログのお話もそうですし。
そうですね。ちょうど音楽ビジネスって面白いな、と思い始めた時期でもあって。当時は……今もそうですけど、ファンが買い支える文化ってあるじゃないですか。それでマーケティングとか広報とかにも興味が出て。自分のキャリアを考えるきっかけになりましたね。健人くんのKTTを通した発信……SNSが使えない状況でどう発信していくか……を見て、なるほどそういう手法もありか、って思ったりとか。
大学での自分の学びと、Sexy Zoneのオタ活がマッチしていって、自分のキャリア形成に繋がっていったところはあるかもしれないです。
――そうか……大学に入った時点で、そういうジャンルへの興味はお持ちだったわけじゃないですか。そのもともと持っていた興味関心と、オタ活がちょうど絡み合って、なんかすごい事になっているな、というのはお話聞いてて感じますね。
人生、を語る上で(笑)、一番大きなターニングポイントにはなったと思います。
――なんとなく、Sexy Zoneに出会った時期についてお聞きしようかな、って思ってたんですけど。なんか、『人生』の……
(笑)。オタク人生論になっちゃいましたね。
――人生がだいぶ変わってるな!と思いました。Sexy Zoneは「人生を動かされた存在」というか。
Sexy Zoneに出会っていなかったら……オタクになっていなかったら、今の仕事にも就いてなかったでしょうね~。
――大学時代っていう時期自体、その後の人生を決定付けるような変化をもたらすところがありますけど。そこでSexy Zoneに出会って、よりその変化が加速していった……という印象を受けます。
そうそう。自分の着火剤になってくれたな、と思います。
アハハハハ(笑)。社会人としてのロールモデルにしてるのは風磨くんですし、そこらへんはそうかも。自分の社会人としての意識を作る上で、根幹にはなってると思います。今思えば。
――Sexy Zoneに出会った頃、思ってました?ここまで大きな存在になるって。
いや、思ってなかったです。私、セクシーが一番最長で応援してるんですよ。6年経つんですけど、私の場合、優先順位が変わっていくじゃないですか。
――ああ……Sexy Zoneに出会うまでの遍歴の中で出てきた……
そうそう。韓国のアイドルが好きだった高校生の頃、好きなメンバーが2年間兵役に行ってしまう、グループ活動で見れなくなってしまうってなってフェードアウトしたはずなのに。松島くんがいなかった2年間、私フェードアウトしてないんですよ。
――ああ~~~~~~そっか…………
その意味でも別格。Sexy Zoneが好きになってから、オタクをする上で、ずっとSexy Zoneが優先順位1位なんですよ。私の中ではSexy Zoneは、出会い方もイレギュラーなら、ここまでの熱量の変わらなさもイレギュラーなんです。
――それは……そこまでのオタク人生の中で、「優先順位はくるくる変わるもの」っていう常識があったわけじゃないですか。なんでずっとこんなに1位なのかな、って考えた事とかありますか?
多分、単純に人として尊敬してるからだと思います。
――そこに還ってくるんですね。
そこに還ってくる。もうアイドルとして好きっていうよりも、人として尊敬しちゃってるから。
――……ぐるぐる廻ってる感じですね。ハマって、ハマった事によって自分の人生の方向性が決まってきて、その中でSexy Zoneって人としてすごいな……ってなっていって、その「人としてすごいな」という思いがSexy Zoneをずっと1位に据えていて。そのサイクルがずっとぐるぐる廻っている感じだな、って今お伺いしていて思いました。
■もうあとに戻れないな
「すいません、なんか壮大な感じになっちゃいそうで恐縮ですね~」と笑っているあきちんさんの言葉通り、当初の目論見(出会ってからハマるまでを聞く)からだいぶ外れた、まさしく人生のハイライトの時期のお話をたっぷり伺う事ができた。そもそも「ハマるまで」というのがだいぶふわっとした概念だったな、と改めて感じる。ここでハマった!というタイミングが分かりやすく存在する人だけではないのだ、当たり前だが。
あきちんさんは聡くんに関しては「BYAKUYAだ!!!!!」という分かりやすいタイミングがあったが、Sexy Zoneというグループ自体に関しては、(一応の節目節目はあれど)なだれこむような勢いでハマりその後もずっと熱量が続いたためか、ハマったタイミングを1つに絞る事はできなさそうな印象を受けた。
そこで最後に、こんな質問をぶつけてみた。これを今後、毎回最後に聞いていく事にしようかな、と思っている。10年ぐらい前に観たテレビ番組で、「『I love you』を夏目漱石は『月が綺麗ですね』と訳しました*6。あなたは何と訳しますか?」という大喜……問いに対して、東京スカパラダイスオーケストラの谷中敦さんが出した回答が、私は未だに忘れられないので。
――Sexy Zoneに惹かれていく中で、「もうあとに戻れないな」、と感じた瞬間はいつですか?
あきちんさんはすぐに1つ回答してくれた。そして続けて、もう1つ挙げてくれた。2つ目に挙げてくれた方が時系列的に先なので、そちらから先にご紹介しようと思う。
「風磨くんのサマパラ2016で、風磨くんが『Sexy Zoneになりたい』って言った時。……私たまたま、聡ちゃんが見学してた回に入ってて。そこに、聡ちゃんがいる2バルの方をちらちら見ながら風磨くんが言ってたのが見えてたんですよ。そこで、あっ菊池風磨が本腰を入れたな、っていう覚悟を私も感じて。より、こう、なんだろう……風磨くんを強固に信じられるようになって。グループ丸ごと愛せるなって、信じられるなって」
そして、即答した方がこちらだった。
――Sexy Zoneに惹かれていく中で、「もうあとに戻れないな」、と感じた瞬間はいつですか?
「STAGE最終日です。STAGEオーラスで薔薇のサプライズをした時に、あっ、もう戻れないなと思って…………思った、記憶はあります、すごい。帰りの飛行機の中、ああ……もう、無理かもしれない、って」
次
*1:貴重な資料を見せていただいたり、私がハマる以前のセクシーゾーンたちのエピソードを教えていただいたり、おいしいプロテインを教えていただいたりと、最早セクシーあんま関係ないところまでお世話になっている。
*2:私自身の体感から逆算すると、多分あきちんさんが小学校高学年あたりの頃が、Youtubeが日本で徐々に広まり始めたかも?ぐらいの時期だと思う。
*3:録音を聞いてるとここで私のテンションがめちゃくちゃ上がっていました。あきちんさんは私がPerfumeのオタクでもある事をご存じです。
*4:透明人間になるか、時間を止められるか、どちらか選ぶなら?というA…男子垂涎の話題だったそうです。
*5:言わずもがな風磨さんの名言「俺の心に火をつけてくれるのは、いつだって中島だよ」オマージュです。
*6:俗説ですが。