三ヶ月坊主

個人的嗜好をSexyと戦わせるゆるオタク

『Sexy Zone LIVE TOUR 2019 PAGES』通常盤感想

初めて行ったジャニーズのコンサートが『PAGES』である事を、一生誇りに思っていたい。

 

2019/08/28に発売された、『Sexy  Zone LIVE TOUR 2019 PAGES』DVD/BD。2019年の春、メンバーである松島聡を欠いた状態で全国のアリーナを回ったツアー映像を収録したこれを、初回限定盤・通常盤ともに予約し、急な職場の飲み会やら残業やら休出やらに邪魔されながら、何とか休日に通常盤を観終わった。

まとまりのある感想を書けるか分からないので、一旦途切れ途切れに書いてみる。かなり自分用です。当たり前のようにネタバレしているのでご注意ください。浮かんだら追記していきます。

 

初めて実際に現場に行って、生でメンバーを見て、私の地続きにメンバーが実在する事を知ったコンサート。ビギナーズラックでセンステすぐ脇の神席を引き当て、呆然とアンスト冒頭の花道を行くSexy  Zoneを見送った。今だから言えるが、翌日のワイドショーで流れた大縄大会の映像にバッチリ私は映っている。うちわ持って嬉々として数を数えていた。確かにあの何時間かだけは、同じ空気を吸って、同じ空間に存在していた。

あれから4ヶ月近く過ぎ、またSexy  Zoneは私の中の現実から薄れ始めて、フィクションの世界に帰っていきつつある。ラジオを毎日聴いていても、雑誌を買っても、KTTを毎日眺めていても。寂しいようで、ちょっとほっとしている自分がいる。彼らはアイドルで、私と同じような経験もしながら、私の友人が通っていた大学に入ったり出たりもしながら、でも私と違う世界にいて、その世界からたまにこちらに顔を出して背中を押してくれるのが好きだから。自分とは全然違う人が、自分よりずっとずっと優れた人が、私のちっぽけな悩みや違和感や悲しみや喜びを「分かるよ」と肯定してくれる感覚が好きだから。

でも、あの何時間かは、そういう好き嫌いを超えた強烈な光のように焼き付いていて、DVD*1を観ながらも、どうしても生で感じたあの多幸感と立った鳥肌と自分の叫び声がちらつく。語弊を承知で言うと、あの生の圧倒的な輝きに目がくらむようで、映像の輝きがこれまで観たライブDVD(=自分が行っていないライブ)に比べると減じて感じられる。ライブ映像はライブそのものとはまた別の、一つの完成された映像作品として楽しみたい・楽しめるタイプだと思っていたが、Sexy  Zoneによって覆されたのか、Sexy  Zoneは特別なのか。

「少しでも多くみんなの近くに行きたい」という趣旨の事をメンバーが語っていた通り、特に客席降りやトロッコや花道を回る曲が多い印象のライブだった事も、上記の感想に繋がっているかもしれない。歌とダンスと演出と、映像の方がむしろ細かく見て聞けて楽しめるような要素もコンサートには多いけれど、あの空間を生きているだけで・存在の佇まいだけで魅せるタイプのパフォーマンスは、映像は絶対に生には勝てない。当たり前の事を今更知って、謎の敗北感に苛まれている。私以外の人はみんなこんな幸せ体験をもっともっと前から知っていたのか。映像の中のメンバーもファンもみんな幸せそうだけど、私の主観で一番みんながみんな幸せだったのは5/2なんだよ。

 

OP〜「カラクリだらけのテンダネス」→「すっぴんKISS」の演出の流れが好きすぎる。

会場に入った途端につい歓声を上げてしまった*2、映画のような街のセット。それを、おもむろに現れたメンバーが、それぞれのメンバーカラーの光を操り染め上げる、当然のように緑の光も降り注ぐ、健人くんは時代を掲げて現れる。本を模したモニターが開いてゆき、輝きが漏れ出してくる。いやが応にもワクワク感を煽られる。

警官姿のジュニアに追われるようにメンバーは客席に降り、走りながら『カラクリだらけのテンダネス』を歌う。PVでは刑事目線で女スパイ?を追う歌だったからそう思い込んでいたが、コンサートでその構図をさらりと反転させてみせた。この曲でメンバーのキメ顔が指名手配書のようにされてモニターに出るが、以後このコンサートでは「シャッター音とともに写真が撮られてモニターに表示される」演出が何度か出てくる。リペ魂『Happy Birthday for you』などでも出てきた演出だが、今回多用されたのは勿論、フォトアルバムと銘打たれたツアータイトルに掛けての事だろう。

そして曲が終わるかと思われたその時、一瞬の静寂、弾ける火薬。それまでモニターに銃のポインターが映っていた事と合わさって、メンバーが撃たれたのだ、と私たちは一瞬だけ遅れて理解する。アルバム曲と違い、去年の年末からめちゃくちゃ聞き込んだシングル曲だからこそ最大限に威力を持った演出だと思う。聞こえるはずの音が聞こえない裏切り、聞こえないはずの銃声が聞こえる驚き。斃れて消えたメンバーを嗤うように鳴り響くブルースハープ、あれをあの場で吹けるなら今から猛練習するわ。ピアニカで代用できるかな。*3

コンサート冒頭から鮮やかに死んでみせた彼らは、沸き立つようなイントロと共にピンク色の衣装で鮮やかにアイドルとして蘇る。この死と再生のスピードはえげつない。キリストでも復活に三日かかったのに。この切り替えの鮮やかさがSexy  Zoneというアイドルの魅力だ。そして両A面ならではの両極端な振り幅を持つこの二曲、五人で出した最新曲を冒頭に叩きつけてきたあたりに、彼らの自信を感じる。

で、さっき生と映像の違いについてぐちぐち書いててアレなんですが、このOP〜すぴキスの流れは正直初Sexyに興奮しててほとんど記憶飛んでたので、やっぱり映像も捨てたもんじゃないな…と思いました。(作文)

 

今回のリード曲が『La Sexy Woman』なのがずっと少し不思議だった。確かに耳を引くイントロに分かりやすい振付かつ『Real Sexy!』ぶりにSexyを背負った楽曲だけど、キャッチーさで言えば『恋がはじまるよーー!!!』『ゼンゼンカンケイナイ』あたりのほうが強いだろう。恋はじは女の子口調で引っかかったのかもしれないけれど、ゼンゼンカンケイナイはリード曲にしても特に問題なかったんじゃないだろうか、とちょっと思っていた。

ライブに行き、映像を見て、ラセクのリード曲としての矜持というか底力を感じた。それはあのピチピチレザー(っぽい)黒ズボンの魅力だったり、振付に合わせて動く照明の妙だったりももちろん助けにはなっているけど、純粋にあの曲を堂々と魅せることが出来るのは、今この日本で、いや世界でSexy  Zoneだけだ。ストレートすぎてちょっとクサい歌詞、これでもかと華やかきらびやかなアレンジ。またちょっと語弊があるが、ゼンゼンカンケイナイは割といろんなグループ(別にジャニーズに限らず)で幅広く歌えそう*4な、普遍的な魅力のある楽曲だ。その親しみやすさより、自分たちにしか歌えない曲を選んだ事に、彼らの誇りが見え隠れする気がする。私はやっぱり、彼らのプライドが好きだ。

 

シルエットの演出があまりにも王道ドストレートの格好良さだった、『君にHITOMEBORE』。最初にジャケットが降ってくるのも痺れた(まさかあんな天丼されるとは思わなかった)が、このDVDを純粋に一つの映像作品として見た時この曲で一番拍手を送りたいのは、後半モニターにメンバーカラーが流星のように降り注ぐ箇所で、客席のファンが持つ緑色のペンライトをモニターと同じ画角に納めたカメラマンさん。今の状況の縮図のような画だった。待ち続けるファンが、いない彼の存在を示した。

 

初恋パートなのは分かるけど、勝利の苦しさを堪えたようなナレーションの後にエモーション大爆破ジュニア大運動会ぶち込むセンスは誰も真似できねえなと思いました。しかもやってるアクロバットがさりげなく高度。膝小僧が無駄に眩しいハーフパンツ、天丼で降ってくるランドセル。この振り切れっぷり、やっぱり君たちジャニーズだ。(プ◯ミス)

個人的には『恋がはじまるよーー!!!』はもっと上の年齢、少なくとも高校出たぐらいのイメージ(ちょっと打算的だったり「すぐに一人じゃ生きていけない」だったりの歌詞のせい)なんだけど、この後の『チクチクハート 〜beating beating〜』に「初恋」というテーマを合わせられるのが他の曲だと恋はじぐらいしかなかったのかな、と思った。暴力的なまでにキャッチーで懐が広い曲だから、いきなり大縄大会が始まっても飲み込んでしまえる。

そしてチクチクハートは、無垢な歌詞と小学生の衣装と、切なポップな曲調と小道具(机・自由帳)を使った振付がぴったり噛み合った最高の演出だった。アルバムを聴いていて何となく浮かんでいたイメージが、ステージの上で焦点を結んだ。

 

『イノセントデイズ』を初めて聴いた時、今の働く自分の姿が見えて、そこから学生時代のいろいろな光景が頭をよぎっていった。前に書いた音楽文でそのへんにも触れているので、お時間のある方はどうぞ。

その時に感じた、「今は学生時代が愛おしいけれど、もし今の私が“未来を描き続け”たら、未来の私が振り返った時、同じように愛おしく思うのかもしれない。学生時代と同じように、今の私も尊いものなのかもしれない。」という思いを、風磨くんのナレーションが肯定してくれた瞬間の感動を忘れない。こんな日々も、いつかは無垢な日々になってくれたらいい。

その後の『make me bright』はまた、アルバムとは別の味わいがあった。個人的にアルバムの曲順、『CRY』の後という位置にとても趣を感じていて、感情を吐き出しつくした後に始まるこの曲のぼんやりとしたイントロが、まるで泣き疲れて眠ってしまって目覚めた時のようで好きだった。コンサートでは、最終的にはポジティブなメッセージで終わったイノデの後という事で、どこか翳った印象を受けた。それぞれの歌いぶりも見事という他ないが、舞台中央で無心にバレエ(っぽい踊り)を踊っていたジュニアの子もいい演出だったと思う。街中のセットで夢を追うようにひたすら踊る彼の姿は映画のようで、「I'm Dreamer」という歌詞をそのまま体現しているように感じられた。

 

ソロ曲4連発。

Keep On。僕は耳当てウス!!!!

いきなりマリウス界の推しを叫んでしまったが、モニターをぶっ壊してみたり(最初ポプテピピック始まったかと思ってビビったのは良い思い出)、カラーバーを連想させる色使いだったり、"テレビ"というモチーフを使ったのにはどういう思いがあったのだろうと考えた。以下はあくまで私の妄想なのでスルーしてください。

11歳の幼さでドイツから日本に渡ってきて、半年ほどでデビューし、歌詞通り「見慣れない不安だらけのEveryday」を過ごしたマリウス。まだこれからいくらでも何者にでもなれるはずの年頃に、「ジャニーズのマリウス葉」である事を望み、選んだ。そしてこれまで、アイドルとしてコンサートも舞台も全力投球してきた。もちろんテレビでも。でも彼は大学に入り、これまでと違う環境、違う世界を知った。かなり殻を破った感があるのは、アルバムの特典を見たりコンサートに参戦したり特典のドキュメンタリーを見たりした方は誰もが知っていると思う。テレビモニターに映る膝を抱えた自分はこれまでの自分、それをぶっ壊し、現れたカラーバー(放送調整の時に表示される画面*5。)に自分の様々な姿を映したマリウスは、きっと「これから自分は何者にでもなれる」と示したかったんじゃないだろうか。様々な姿のマリウスを従えてセンターで歌い踊るマリウスは、最後に「Keep on loving」とメッセージをはっきりと伝えてくれた。彼が何者になっても、アイドルとしてメッセージを伝え続けてくれるという意思表示のようだ、と私は感じた。軽やかな宣言。

 

ご当地ラップは、「実際にその地方で生きていた風磨くん」という虚構を、あたかも現実かのように私たちに刷り込んできた。元々、最初から自分の青春の中にいたかのように錯覚させるのがめちゃくちゃ上手い人だな、と思っていたが、ラップというアイドルとしての武器を使って更にゴリゴリに幻覚を見せてきた。

あのご当地ラップの時間は、Sexy Zoneとしてステージに立っている彼から、Sexy Zoneという枠を一時的に取り外す為に必要なものだったのだと勝手に思っている。各地方で生きていた風磨くんという人格を作り出して、観客の身近に感じさせ、次の『Cocoa』への流れをスムーズにする為に。もっとも当初はラップ映像にマリウスが出てきたりしていて、そういう意図はあまり感じられないが。ツアーを回る中で、虚構性が強くなっていったのかもしれない。また、ラストの和歌山で健人くんを出したのは、最終的に風磨くんの現実はSexy Zoneにある事を宣言しているのかなあとも思った。和歌山のラップだけは、地方出身の虚構の風磨くんではなく、Sexy Zoneの現実の風磨くんから、健人くんとグループに捧げられたものだと思う。

そして、「作詞:ぼく 作曲:おやじ」と銘打たれた『Cocoa』が始まる。さっきまで地元出身の風磨くんを見せられ刷り込まれていた観客は、自分の中学に、高校に、大学に、バイト先にいたかもしれない風磨くんのルーツを『Cocoa』に幻視する。モニターに映るのは現実の風磨くんの幼少期写真や映像だけど、それが幻覚を補強する。風磨くんの本当の幼少期や思い出や感傷を、観客一人ひとりが自分の身近なものとして知覚する。本当に天才なんじゃないかな。どこまで計算の内か知らないけど。

ソロコンでも過去の自分の姿と絡んでいた風磨くんだが、今回は過去の自分(を表したイラスト)を手招きしても、駆け寄ってくるかと思いきや通り過ぎられてしまった。そこにかぶさるように、

さよなら  不意にあの頃の風をちょっと感じた

もう二度と戻ることのない季節を

と聴こえてくる。通り過ぎてしまったものは、もう二度と戻る事はない。当たり前の事だけど、通り過ぎてしまったものが多くなればなるほど、強く実感されてくる。もしかしたら風磨くんも、ソロコンの頃よりも実感が強まったから、今回は過去の自分と直接対話しない演出にしたのかもしれない。

ちなみに『Cocoa』、中高時代の友人たちに爆発的に好評な曲。一緒に参戦した中高時代の友人(現:LDHの女)はイントロの電話の音ぐらいからもう泣いてた。個人的な話になるが、メンバーの中で私の中高の友人たちと一番経歴が近いのが風磨くんだ。学年も一緒だしね。部活の同期でSFC行った子いたしね。じゃあその子風磨くんの同級生なんじゃね…?というのはさておき、みんなで集まる時話題に上がるのは、近況ももちろんだけど、やはり多いのは通り過ぎてしまった私たちの思い出であって。そういう思い出を何となく分かってくれそう、実は共有しているんじゃないか、という勝手な幻想を、私たちは風磨くんの上に見ている。

 

今回のセットを一番活かしていたソロ曲は『風景画』だろう。この曲もまた、コンサートによって風景が肉付けされた曲だと思う。アルバムで聴いた時は、湿気をかなり感じたので、どちらかというと自然の中で歌うイメージを個人的に持っていた。でもコンサートで勝利くんが見せた、列車の音が響く街中でベンチに腰を下ろして弾き語る、という風景がしっくり来すぎてもうそれ以外浮かばない。

映像になると、特に最初の始まり方、ギターケースを閉じた瞬間に列車の音も雑踏のざわめきも全ての音が止むところが際立っていてとても良かった。現代技術で観客の叫び声とか消せないかな。

「苦しげな顔で脇目もふらずに、街角でただ歌って弾く事のみに没頭する街角の美青年」というどう考えても悲しく美しい情景にたった一つ、「自分が差していた傘をそっと掲げ、最後には置いて走り去る通りすがりの美少年」というヤバ要素を足してきたセンスがやっぱり最高。しかも歌詞とリンクした箇所で傘置いてるもんね。今回のドキュメンタリーでは昨年のリペ魂と違い、ソロ曲の演出について各自が喋るコーナーは無かったが、明らかに去年までの演出と違うので、今後の勝利くんの演出にすごくわくわくする。引き算の美学というか……

この曲は本来恋愛の曲ではなかったというから、勝利くんが終始自分自身だけと向かい合って歌ってくれたのも世界観と合っていたと思う。あの曲は観客なんかに目をくれなくったっていい。

 

めちゃめちゃ正直に言うと、アルバムで聴いた時点ではソロ曲の中で一番聴き返さなかった曲だった『Because of 愛』。健人くんの歌詞に満ち満ちていた情念に向かい合うのにめっちゃエネルギーが要り、具体的には通勤中に聴くのがきついというのが理由の一つ。もう一つは、曲が(サビと間奏除き)あんまり好みじゃなかったから。単純(悪く言うとバカ)なので、展開少ない曲を飽きずに聴けないんですよね…サビと間奏は超好きなんですが…

ちょっと脱線するが、健人くんソロ曲は底抜けに明るくポップなCANDY、カレカノ、サマハニのラインと、ポップじゃなくてどことなくマイナー調なのに超キャッチーなTeleportation、Black Cinderella、Mr.Jealousy、Missionあたりのラインに分けられると思っている。この極端感が健人くんの魅力であり、Bo愛は間違いなく後者。そして私は、後者の曲から漂う「抑圧感」がとんでもなく好きである。健人くんは愛と好意を集めて集めて幸せそうに光り輝くのも、抑え付けられて抑え付けられてぎらぎらと輝くのも、どっちも最高だから最高なんだよな。

当然のようにBo愛はコンサートでぶん殴られた。だいぶ身構えて行ったのにそれでも世界観の"圧"がヤバかった*6。内容やストーリーについては(PV含め)色んな人が考察していてすごく腑に落ちているので、ここで語るのは差し控えようと思う。とりあえずド新規にCANDY恵んでくれてありがとなという思いでいっぱいだけど、CANDYは"ケンティー"というアイドルのアイデンティティ形成に強く関わる曲でありそればかりを求めるのはいかがなものだろう…。黒健人くんが白健人くんを砂にしたコンサート時はちょっとそんな事も思っていたが、PVで白健人くんの強さを描いてきて、あ〜一筋縄ではいかねえ〜〜という思いを新たにしました。何言ってんだこいつ?

あと個人的には、曲調やポージングのオリエンタル感と、禁断の果実や白黒二元論の西洋み*7フュージョン感がよっ!神仏混淆!(ちがう)「愛」をテーゼにした信仰の誕生!って感じで興奮しました。政党立ち上げの次は宗教とかマジハンパねえ……(ちがう)

 

我々は忘れていた……『Don't run away』の歌い出しが、Bo愛を終えたばかりのケンティーだという事を……確かに余裕なんて全くのナッシング。

 

ロッコメドレーは現地では「ファン主催セクゾオンリーDJイベント」って感じで大興奮の渦だった。「こんな繋ぎゴリゴリのファンしかしねえぞ」とド新規の私でも分かった。彼らはSexy Zoneのゴリゴリのファンだ。

健人くんのおみ足は長かったが、それでもあのトロッコへの座り方はああっ健人さまっ感がエグかった。

 

これは生では気付かなかったんですが、MC時のBGMの「ノベルゲーの日常シーンBGM」感なんなん?文章送りのカーソル見えたわ

 

セクサマのハーモニーはあまりにも美しかった。教会で聴いた讃美歌、ピアノがすごく上手だった幼稚園の先生、笑う世界の子供達、など様々な情景が脳裏をよぎっていったが、最後に浮かんだのはサーフィンするオーストラリアのサンタだった。結局そこかい。

 

『Twilight Sunset』〜『君がいた夏に…』の流れはもう決めた人のドヤ顔が目に浮かぶ。私だってこれ決めたらドヤドヤドヤァ……って言う。言うだけ。

トワサンで、ストーリーパートで使われていた画風のイラストが何のアナウンスもなく登場した時はさすがに杏ばりに「ニクいね!」って言った。ここまでかなり長い間、ストーリーパートとは直接関係のない曲が続いたが、この演出で私たちの目にイラストが自然と入ってきて、ストーリーがあった事を思い出す事ができる。ここでいきなりアナウンス付きのがっつりしたストーリーパートにしていたら、ちょっと唐突感があったかもしれない。

君がいた夏に…』はコンサートでよりドラマチックが増していて、かつトワサンの流れで何も言われずとも私たちは夕焼けの景色を思い浮かべていた。「夕日」とは二番でしか言われていないのに、他の曲を使ってその情景を補完する。強すぎか?

 

なぜここなのだろう。『Unstoppable』。色々考察できる気もするが、ストーリー的にはやっぱりちょっと不自然な位置な気もする。

でもそんなことより花道を行くSexy Zoneが私は忘れらんないですね……センステが上がるとメンバーほぼ見えん*8のとか気にならんぐらい、あの花道道中のSexyをあの位置で見れたのはホント神席だった……個人的にメチャメチャ高い場所にいるSexyを崇め奉りたいので、次回は安全面に最大限に配慮しつつセットの一番上から登場するとかやってください。よろしくお願いいたします。

 

『Wonder Love』は今更語るまでもないだろう。美とエロの暴力。CEROでいうZ。Rでいう18。どうしてこうなった。平凡な高校生僕がふとしたはずみで健人くんの首筋を流れる汗を執拗に撮るカメラマンに転生してしまって…!?って異世界転生もの書いたら爆売れ間違いなしよ、出版社各位〜見てる〜?✌️✌️

 

『青い恋人』でメンステへ駆けていくメンバーとストーリー映像をだぶらせたあたりなんて、もう巨匠の貫禄があったよね。

『My sweet heart My sweet love』でメンバー一人ひとりに個人背景パネル(正式名称が分からん)与えられた時はガッツポした。大好きなんですよあのパネル…いつか自分で持って動かす演出きてほしい…

この二曲はとにかく多幸感溢れる最高の時間で、

結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです。

というあのゼクシィが生んだ名キャッチコピーが頭を爆速でよぎった。普通の職業よりも結婚へのハードルが高い職業に就いていながらも、彼らは"結婚"という行為が持つ普遍的な魅力を、泣きたいぐらい真っ直ぐに表現していた。

 

ここでストーリーは終わり、ここからは完全にSexy Zoneだけのページになる。コンサート途中でストーリー進行をぬるっと終わらせたのは、あまりにも没入させると本編最後の演出が生きてこないからか。ここらで「ストーリーもいいけど現実のSexy Zoneもよろしく!」と見せときたかったのかな、と妄想する。ストーリーの出来が良かったのでついそこばかり着目してしまうが、風磨くんのソロコンのような「メッセージと作り込んだストーリーを全面に押し出す」という使い方では今回はなく、あくまで曲の良さ・持つ要素の補完としてストーリーを使っていたのではなかろうか。

で、いきなり始まる300時間密着(嘘乙)ドキュメンタリーからのエアバンドゼンゼンカンケ〜ネエ〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!

考察しがちなオタクをパワーで吹っ飛ばすセトリだ。『ゼンゼンカンケイナイ』→『ROCK THA TOWN』→『BAD BOYS』。これでもかとばかりに「どうも俺たちカッコいいです!!!!卍卍卍」という圧を感じる。なのでオタク側としても「考察とかどうでもいいな!!!!あなた達超カッコいいです!!!!」という熱で応えてしかるべき。

 

ここまで煽りに煽り、盛り上がりに盛り上がっておいて、いきなり『CRY』。始まるのも唐突なら、終わって銀のキラキラを残したまま姿を消すのも唐突。喪失はいつも唐突だ。後からじわじわと、この場合は流れるエンドロールを見つめながら、ああ無くなってしまったんだ、と実感する。無くなってしまった、という言い方が一番私の実感としては近い。終わってしまった、でも、いなくなってしまった、でもなく。そして、それを寂しく思う気持ちを、流れる『CRY』のインストは肯定してくれる。ついさっきまでその声を聴いていた観客には、声が無くなってもちゃんと彼らの歌が聴こえる。

 

すぐに沸き起こった「Sexy Zone」コールは、「早くまた出てきてほしい・アンコールが見たい」という思いだけではなく、「このコンサートを作り上げ、最後にこのイラストを置いたSexy Zoneの気持ちへこみ上げた何か」も多分に含まれていたと思う。現場の私がそうだったし、画面の前の私もそうだ。

 

色んな人が既に言っているが、『Sexy Zone』でジュニアを5人並べた彼らの想いを想像するだけで、

 

『ぎゅっと』は、聴き手の送ってきた人生を優しく肯定してくれる曲で、Sexy Zoneの聴き手への寄り添い方を象徴する曲だと思う。

だからこそ私は、アンコールでそれを歌った後に『いつまでもいつまでも』を歌ってくれたのが嬉しかった。いつも『ぎゅっと』で私たちを肯定してくれる彼らが、『いつまでもいつまでも』では彼ら自身のそれまでの人生を肯定している(ように私は感じる)。前にも何かの記事で書いたが、「自分自身を愛するように、隣人を愛しなさい」とキリストも言っている。宗教とかよく分かんないけど、この台詞言っただけでキリストはえらいと思う。

私たちを隣人として愛してくれる彼らは、きちんと自分自身を愛していてほしい。それだけは、何があろうと私は今後もずっと願い続ける。

*1:自室のPCで観る用にいつもDVDで買っているが、さすがにBDも買おうと思い直した。レーザーやモニターが映ると、画質に限界がある。

*2:次に言ったのが「こんなんディズニーシーじゃん」です。

*3:冒頭はやってみたんだけど、最後の連符の和音がどうしてもうまくできない。

*4:実際、最初聴いた時「アニメOP」「完全にボカロ」など、他のジャンルに例える声は多かったように思う

*5:らしい。ぶっちゃけ世代ではない&深夜テレビをほぼ見ないので、実物を生で見た事はないです…

*6:一緒に参戦した友人には「今の何だったの?」と聞かれた。私も聞きたかったわ。

*7:二元論は別に西洋じゃなくね?という感じもしますが、まあキリスト教的天国と地獄のイメージって事で……。

*8:翌日以降はセンステの高さがちょっと低くなって改善されたらしいが、まあ見えないは見えないでやべえ…Sexyとうとう神になった…という謎の興奮があったので良しとする。