三ヶ月坊主

個人的嗜好をSexyと戦わせるゆるオタク

酒のこと

 父方の祖父の若い頃の写真を見たことがあるが、顔の圧で思わず後ずさるぐらい男前だった。漁師仲間と一緒に写っていたのだが、他の人たちが当時の写真らしい朧げな画質で収まっている中、祖父の顔だけは技術力の限界を超えてくっきり鮮やかに(白黒だけど)映って見えた。なぜこの血が父に継がれなかったのか大変残念である。父が継いだのは、酒好きの血だった。

 祖父は酒乱だったらしい。らしい、としか言えないのは、父の話からそれが断片的に窺える程度しか情報がないからである。どうも色々大変だったようなのだが、父から積極的にはその話をして来ない以上、あまり詳しく聞く気はない。祖父母ともにもう亡くなっているので、本人から聞く事も出来ないが、それでいいのだと思う。

 幸い父は酒乱ではないと思う。だがそれは酔って暴れたりしないというだけで、酒量はとても多い。私が幼い頃から父は、外で飲むよりも、家に帰ってきてから飲む方が多かった。なので余計に目につく。しかも年齢を重ねるごとに酒量が増えている気すらする。とっくにアルコール中毒者のラインを超えていると何度家族で説得しても適当に受け流されるだけで、まあ暴れられないだけマシなのかもしれないが、家族としてはなかなかに虚しい。太く短く生きたいらしいが、早死にするつもりならこっちにも考えがあるぞと唸った事もある。酒乱の祖父を見て育ったはずの父がこうなるとは、"血は争えない"という言葉は的を射ているのだろうか。あまり好きじゃないんだけど。

 私は酒が好きである。大変残念ながら、"血は争えない"を現在進行形で体現してしまっているのがこの私だった。父を見て育ったはずなのに。元々酒は好きだったし、一人暮らしを始めてからは家でも飲むようになって酒量が増えた。ビールと安ワイン派の父と違い、私はビールと日本酒派である。父と違って絶対連日では飲まない・週に3回まで・飲酒後の風呂禁止・定期的に厚生労働省HPの飲酒ガイドライン*1を見るなど固い戒律を守ってはいるが、どんぐりの背比べ、同じ穴のムジナ、蛙の子は蛙、周りから見れば父と似たようなものだと自分でも思う。しかも誠に遺憾ながら、若い頃の父ほど強くない。そこも継げよな、と思うがこればかりは男女差もあるものなのでしょうがない。ちなみに姉妹も揃って酒好きだが、強さは私と似たようなものである。

 でも父と違うのは、私は他人と飲む酒のほうが断然好きだというところだ。家で飲むより友達や先輩や後輩と居酒屋で飲む方が全然好き。他人との会話が最大の肴であり、コロナが本当に恨めしい理由の一つでもある。早くパーテーションのない居酒屋に行きたい。デカ皿料理頼んで適当に分け合いたい。誰も頼んだ記憶のないが卓に運ばれてきた柚子生搾りサワーを美味しそうだからという理由で引き取りたい。いぶりがっこチーズを頼んだ友人を完全に正解って言って称賛したい。どうでもいい話をしつつ割り箸の袋で箸置き折りたい。嘘折れない。不器用なので。

 普通の友達と飲みながら話すのも大好きだし、オタク仲間と飲むのにもとても憧れる。学生時代の友人で趣味が合う子たちと飲む事はもちろん多かったのだが、Sexy Zoneにハマって本当に趣味繋がりオンリーで知り合った人たちとはまだほとんど飲みに行けていない。現場後のトリキ(任意の居酒屋の名前を代入してください)体験に至っては一回もないのである。

 私の自由な一人暮らし生活のうち、最初の2〜3ヶ月以外はほぼ全てコロナに覆われている。本当にこんなはずじゃなかった。別に積極的にしたいわけでは全くないしむしろこれは良かった点ではあるが、終電帰りや朝帰りがほぼ全滅する事になるとは。実家にいた頃のほうが全然多かった事になるとは。

 コンサートや舞台などの現場終わり、他人と感想を分かち合いたい、ネタバレを気にせず吐き出したい、とにかく喋りたい、という欲求を満たすべくラジオ配信やらスペースやらをする事が増えたが、必要以上に大勢の人に公開されてしまっているような気もする。普通に喋る分には、どうせ聞いている人は知り合いかフォロワーの方ぐらいだと思うので別にいいかな、とも思うのだが、問題なのは私がそういった音声配信に「現場後のトリキ」の代替としての役割を求めているせいで、やっている時大体飲んでいる点である。絶対やめたほうがいい。滑舌は悪くなるし、しっかりと思考を働かせて話す内容をまとめられなくなる場合もあるし(これはそこまで飲み過ぎなければ大丈夫だが)、うっかり失言する可能性だって増える。

 そもそも、なぜ現場後に飲みたい(そしてオタクと喋りたい)、という欲求が私に生じるのだろう。別に感想を喋りたいだけならお茶でも構わないはずだ。究極座るイスさえあればいい気すらする。立ちっぱなしはさすがに足腰がきつい。実際、酒などなくてもひたすら喋ってめちゃくちゃ楽しい会だって過去にたくさんあった。会話において酒は、私にとっては必須要素ではない事は確かだ。

 きっといくつか私に理由はあるのだろうが、単純に「酒は必須要素ではないが、あるとテンション上昇にアクセルがかかって、より楽に楽しくなれる」というのがあると思う。通常時のテンション上昇が、初期値30ぐらいから始まり、会話をするにつれて5ずつプラスされ、緩やかに100に向かっていくとしよう。私の場合、酒がある!と思うと、初期値に酒ボーナスが10プラスされ、40からテンションをスタートする事ができるのだ。そしてアルコールの持つ効用により、テンションの上がり方にもボーナスが掛け算され、通常5ずつのプラスのところが10ずつプラスになる。100に辿り着くまでの時間がかなり短縮されるのだ。

 「酒がある!と思うと初期値に酒ボーナスプラス10」になるのは、これまでの経験に拠るところが大きいと思う。これは本当に幸いな事に、これまで経験してきた酒の場というのが、私の場合は楽しいものがほとんどだった。周囲の環境に恵まれていたと思う。各自それぞれ好きなものを飲み食いすれば良いじゃない、という場がほとんどだったように思う。ハラスメントを受ける事もなく(気付いていないだけだったらどうしよう)、かといって私自身が他の人にその楽しさを押し付ける事もなく(相手がそうは感じていなかったら本当にどうしよう)、あくまで私の主観においては楽しかった。たまにこれなら家帰って飯食って寝てた方が楽だったわ…と思う場もあったが、過去の酒の場楽しさ貯金を切り崩してそういうダルさを緩和しつつ、そもそも酒の味自体がまあまあ好きだという事を活かしてギリギリプラマイゼロまで持っていけていた。

 だから、少なくとも会話においてのテンション初期値ボーナスについては、ただの過去の経験からくる刷り込み、気の持ちようでしかない。現場後の昂揚感などできっといくらでも代替可能だ。別に必須要素ではない。何度そう繰り返そうとも、気兼ねなく友達と先輩と後輩とオタクと飲みてえなあ、と思う事は止められない。これが物心つくかつかないかの頃に数度しか会った事のない顔も覚えていない祖父からの、至極厄介な贈り物かと思うと、血ってしょうもねえなあ。