三ヶ月坊主

個人的嗜好をSexyと戦わせるゆるオタク

マイ・ハイライト・オブ・セクシーゾーン ケース:つぐみさん

前回↓

 

Sexy Zoneのファンに、出会ってからハマるまでの経緯をインタビューする企画「マイ・ハイライト・オブ・セクシーゾーン」。第2回は、つぐみさん(Twitter:@_tokormati)へのインタビューになった。
 子どもの頃から今に至るまでずっとSMAP中居担であるつぐみさんのお話は、少しお聞きするだけでもSexy ZoneSMAPへの想いに満ちたものでした。今回は対話形式ではなく、文章形式での掲載になります。

 

 

 その数年、夏は別れの季節だった。ずっと大好きだったSMAPが解散を発表したのも、贔屓にしていた力士が引退をしたのも、落語家で一番好きだった人が亡くなったのも、全て夏のことだった。
 世の中全部が嫌になって、もう出家して坊さんになろうとすら思ったのがその夏だった。気付いたらなんの備えもなく奈良にいたりした。色々あって出家はしない事にしたが、とにかく全ての煩悩を捨てたい、捨てようと決意した。
 潜在意識下で、煩悩の中で最も象徴的だったのが、もしかしたらずっと見てきた中居くんとSMAPに対する、未練だったのかもしれない。煩悩を捨てようと決意してまずやった事が、中居くんがまだ事務所に残っているからとずるずる登録を続けていたジャニーズwebを退会する為に画面を開く事だった。特に他に好きなジャニーズタレントがいたわけではない。とっくに中居くんの更新はされなくなっていた。
 その画面を開いたのが月の終わりだったら、そのまま退会してジャニーズとの縁は全て切れて、それでおしまいだっただろう。しかし時は七月半ばの十四日、まだ微かに残っていた損得感情が「せっかくなら会費の元を取るだけ取ってから辞めろ」と囁いた。具体的には、デビュー年次順に上から片っ端から眺めてみようと思った。
 王道中の王道煩悩である吝嗇、こいつのおかげでKen Tea Timeという恐怖のジャニーズwebにぶち当たる事になったのだ。


 これまで自分の見てきたアイドル中居正広とあまりに違う世界観と質量に圧倒され、逃げ込んだのはちょうどその日放送されていた中居くんがMCを務める特番『音楽の日』だった。しかし外が暗くなってきた頃、テレビの中に登場したのはSexy Zone、さっきの恐ろしいジャニーズwebを更新していた中島健人さんがいるグループだった。
 なぜかその時、絶対にハマらないぞ、と決意したのを覚えている。防衛本能、現実の否認、とにかく何か危険を感じていたのだろう。
 しかしその夜、なぜか手がジャニーズwebの画面を開いていた。KTTは、青空を背景に指でLを作った写真に残りのOVEを手書きで書き込んでLOVEを表現し、「#青に中途半端なハートのアート」というタグがついていた。今振り返ると、なんであんなに刺さったのかは分からない。あっ、何!?この人。えっ、何!?この人。どういう事!?この人は。


 その晩は寝たら中島健人さんが夢に出てきた。起きたら引くほど発熱していた。なんだこれは。誰なんだ、あなたは。なぜか、観念してファンクラブに入ろう、と思った。あの時なぜ、何に観念して、そう思ったのだろう。

 


 きらめきをまとって彗星のごとく現れた健人くんを追いかけてジャニwebを毎日読み、TSUTAYAでCDを借りる日々を送り始めたが、この頃は仕事もあまりうまく行かず、当時の恋人ともうまくいっておらず、というより当時の恋人がやばい奴で、というか仕事がうまく行っていなかったのもこいつのせいみたいなところがあった。
 荒んだ生活に現れた一筋の健人くんをゆるっと追って一ヶ月ほど経った頃、時は八月の終わり、24時間テレビの今年のパーソナリティーSexy Zoneだという事は知っていたので、テレビの前で観ていた。きちんとグループで彼らを観たのは、これが初めてだった。テレビのこちら側のこの荒廃した現実と比べて、向こう側の彼らはなんて眩しいんだろう、と思った。なんて綺麗なんだろう。
 あんな男とはもう別れよう、と思った。24時間テレビが終わってすぐに、別れを告げた。やっぱりやばい奴だったのですんなりとは全然別れられず、揉めた。ものすごい揉めた。これは後に分かる事だが、別れた後もしばらくの間は危険で家に帰れない…という状況にこちらを追い込むような、やばい人間だった。そんな人間との関係を断とうとして、心身ともに疲労しきってしまった。
 その日はそのままふらふらと家に帰ってきて大泣きしていた。大泣きすると身体と脳の水分が全部外に搾り出されていくように感じるあの感覚、ぼうっとした虚脱感、あれは何なのだろう。精神を現実世界に繋ぎ止めておくために、無意識のうちにスマホのシャッフル再生をつけていた。聴覚だけでもまともだと信じなければならない。


 流れてきたのは、

Hello この声は君に届いてるかな
たったひと言だけ言えたなら
僕はいつだって
その苦しみに寄り添ってるのさ

星さえ見えない、月に凍える夜の歌。こんなに優しい子たちがここにいたのか。包み込んでくるこの声が誰なのかは、もう知っていた。
 Sexy Zone。この優しい声がSexy Zoneなのだと、一番まともな聴覚から脳裏に沁み渡った。ただふわふわといいな、頑張ってほしいな、と思っていた気持ちが、かちりと形になった気がした。


 Sexy Zoneの事をもっともっと知らなくてはいけないと思った。幸い、もともとセクラバだった友人がいたので色々と教えてもらう事ができた。この時先述の通り家に帰れないという非常事態に突入していたのだが、職場は大変理解のある良いところだったので、一時的な休職をさせてもらえる事になり、時間はとりあえずあった。
 後に同居人になる男が、「最近中島健人にハマってるらしいじゃないか」という事でSummer Paradise2015の円盤を貸してくれた。なぜ持っていたのだろう。という事で、がっつりとソロで歌って踊る健人くんを初めて観たのはこのサマパラ2015、中島健人ソロライブLove Ken TVという事になった。
 『真夏の脱獄者』を、健人くんが歌い踊っていた。言わずもがな、SMAPの曲。
 これだけSMAPをちゃんとまっすぐにやれる子なら、事務所と揉めなそうだなとまず思った。そういうものなのだ。そのエネルギーを感じたのだ。次に自担にするなら事務所と揉めない、中居くんみたいにならない子がいいと思っていた。あのパターンは中居くん一人でいい。これはますます健人くんだと思った。
 Sexy Zoneを応援すると決意はしたものの、SMAPほどの熱量はきっと注げないだろうと実は思っていた。歌って踊る中島先生に、その視線に手を引かれて、最高の夏にばっくれて、予感はここで大きく外れる事となった。

 


 その後も、実家でひたすらスマスマを観ていた時にふと、あっあの時SMAPの再現ドラマに出ていたのは幼き日のふまけんだったな、と思ったり。SMAPが解散した後にコメントを寄せてくれていたのは風磨くんだったな、と思ったり。夏になると塞ぎ込むようになっていた自分を見かねた二宮担の友人に誘拐されてワクワク学校に行った時、すごく楽しませてくれたのは中島先生だったな……直後に歌丸師匠が亡くなったので、記憶から吹き飛んでしまっていたが……とか。

 ずっとSexy Zoneはいたのだ、たまたま気付いていなかっただけで。

 全てが流れ込むように繋がっていって、SMAPを今もSMAPのままでいさせてくれるSexy Zoneの振る舞いに気が付いて嬉しくなって。Sexy Zone中島健人さんに出会ったあの日に未練として捨てようとしていた気持ちは、Sexy Zoneを好きになって、今も捨てずにいられている。